たか けいしょう の お母さん の写真 15

きちんと清楚に表現できるそのセンスが 貴景勝 光信(たかけいしょう みつのぶ、1996年8月5日 - )は、兵庫県芦屋市出身で、千賀ノ浦部屋(入門時は貴乃花部屋)所属の現役大相撲力士。本名及び2016年11月場所までの四股名は佐藤 貴信(さとう たかのぶ)。身長175cm、体重183kg、血液型はO型[3]。得意手は突き、押し。最高位は東大関(2020年1月場所-2020年3月場所、2020年7月場所、2020年11月場所)。好物は肉(特に牛肉[4])、寿司[5]、味付け卵[4]。苦手なものはスイカ[6]趣味は睡眠[7]。座右の銘は「臥薪嘗胆」[8]。婚約者は元大関・北天佑の次女で元モデルの千葉有希奈。, 兵庫県芦屋市出身で、本名の「貴信」は当時現役の横綱だった貴乃花から1字を取ったものであり[9]、そこに織田信長の「信」の字を加えてある。父は「男に生まれたからには、天下を取らないと駄目だぞ」という思いを込めてこの名前を付けたという。[10]幼少期はK-1ブームの中で過ごし、ジェロム・レ・バンナ、ボブ・サップなどのヘビー級の選手たちの試合をよく観戦していた[5]。一人っ子である。, 貴信少年は5歳から仁川学院小学校3年次まで極真空手を習い、全国大会で準優勝の実績を残したが、決勝で受けた判定に納得がいかなかった[11]。「おかしい判定(反則)で負けにされた。判定がある競技はやりたくないと思った」[2]と空手をやめた。空手を教えていた父親が「身体能力、闘争心などを考えると、いい大学に入れるだけではもったいない」と考えていたため、その後興味を持った相撲に転向[12]。3年生からは地元の道場(関西奄美相撲連盟)に通い始め[5][13]、小学校4年生から6年生の間までは芦屋の実家から東京にある貴乃花部屋のキッズクラブまで稽古に通った[14]。小学校時代は4年次にわんぱく相撲で全国3位、5年次に2位、6年次に3位の成績を収めている。, この時代、1回の食事で450gのハンバーグ3枚、牛丼特盛り3杯などのノルマを父に課せられ、小学4年生の頃に30㎏だった体重を2年間で約40㎏増加させた[5]。増量のために食費は1ヶ月で30万円を費やした[15]。2017年秋巡業中に行われた神取忍によるインタビューでは、数日間で約20㎏増加したこともあった旨を明かした[11]。父は仕事があるにもかかわらず中々食べ終わらない息子に付き合ったため、貴信少年は投げ出すことができなかったという[5]。この増量に伴い学級で最も早かった短距離走が、最も遅くなり、リレー選手に選ばれなくなったり、一時期ハンバーグが嫌いになったりしてしまったとされる[2]。因みに、ハンバーグは高校時代に食べた時、食べさせられている場合と自分から食べていることの違いを感じ、2019年2月24日放送分の『ジャンクSPORTS』では寧ろ「今では大好き」と話している[16]。食事のみならずトレーニング内容も父が考案した独特のもので、四つ足歩行での階段昇り、後ろ姿の坂道ダッシュなど、芦屋ではその行動から父子が奇人扱いされることもあった[5][14]。相撲を始めたばかりで体が小さかった頃から「関取になる」と宣言していたが、周囲からは当初笑われたという[17]。, 小学校卒業後は相撲の強豪校のひとつである報徳学園中学校に進学し、3年次に全国中学生相撲選手権大会に優勝し中学生横綱のタイトルを獲得するなどの活躍をした。その大会の決勝戦では後に大相撲でライバルとしてぶつかり合う打越奎也と顔が合った[18]。2年次まで全く結果を出せず、角界入門もしくは高校進学に伴い7年間受け続けた父の指導から離れる前に父に恩返しできずに終わってしまうのではないかと不安に思っていた貴信少年にとって、この優勝は後に関取になったことよりもうれしかったという[5]。中学時代には宇良と稽古をすることがあったが、宇良との対戦成績は「五分五分」であったという。中学卒業後は角界入門か高校進学かで悩んでいたが、埼玉栄高校の相撲部監督である山田道紀から「プロで活躍したいのなら、栄に来なさい」と勧誘されて高校進学を選んだ[5]。, 埼玉栄高校には普通科アスリートコースに特待生として入学した。中学横綱のタイトルを獲得したこともあって高校入学当初の佐藤はやんちゃ坊主であり、先輩にタメ口を聞くなど勘違いした行動が目立ったが、山田の指導によって礼儀作法を身に着けた。また、中学横綱であろうと先輩は容赦なく礼儀作法を教え、箸の上げ下げなども佐藤は細かく注意された。掃除、洗濯、米炊きなどもほかの部員と同じようにやらされる中で、食事を作ってもらえることや洗濯をしてもらえることが当たり前ではないと気付いた。実家でのハンバーグ中心の食生活で脂肪が多く付いていた体は、厳しい稽古と野菜中心の食生活によって130㎏から10㎏以上減って筋肉質なものに変わっていった。, 相撲に関しては「最初から手がかからなかった」と山田が振り返るほど真摯であったといい、ある冬の夜の自主練習では通常より数段負荷がかかる爪先立ちで寒い稽古場に湯気が立つほど四股をやり込んでいた[19]。高校時代に修学旅行が行われた際にも「旅行で5日も休んだら、弱くなるよ」と言われ稽古に明け暮れた[20]。寮では山田が朝5時に起きて全員分のちゃんこを作ってくれていたので選手達は山田のために優勝しようという共通した思いを込めて相撲に取り組んだ[5]。, 山田監督のもと関東高等学校相撲選手権大会の無差別級で2連覇。全日本ジュニア相撲選手権大会の無差別級2連覇。他、高校全国大会7タイトル獲得。3年次に台湾で行われた世界ジュニア相撲選手権大会の無差別級で優勝[21]するなど多くの大会で抜群の成績を残した。, 高校卒業後の進路はかねてより角界入門を希望しており、当初は2014年10月開催の国体終了後に入門する予定であった貴信少年だが、「プロへの気持ちが日に日に高まった」[9]という理由で国体を待たずに、同年9月場所で貴乃花部屋に入門し、本名を四股名にして初土俵を踏んだ。高校在学中(卒業内定前)に角界入りした力士の前例はあったが[22]、9月場所での入門は異例の早さであり、入門以降は高校に通い卒業を目指して勉学に励む傍らで本場所の土俵に上がり番付を上げることとなった[23]。尚、高校は最終的に原級留置も中途退学もすることなく2015年3月に卒業した[24]。, 入門当初、現在と変わらず小柄な佐藤は、碧山の腕の太さや栃ノ心の太ももの太さを見て、大相撲では戦っていけないと自信を喪失した。当初の周囲の予想では関取は無理だと思われていた[25]。初めて番付に名前が載った2014年11月場所は7連勝で序ノ口優勝[26]。, 続く2015年1月場所は序二段優勝と順調に白星を重ねた[27]。東三段目18枚目に上がった3月場所の3日目で入門後初黒星を喫して連勝は15で止まったが[28]、最終成績を5勝2敗として、続く5月場所で幕下に昇進。初の幕下で土付かずの6連勝としたが、13日目の7番相撲で髙木(現・髙立)との相星決戦に敗れて幕下優勝はならなかった[29]。9月場所でも再び土付かずの6連勝としたが、星違いで幕内経験者の東龍に敗れてまたもや7戦全勝とならず、6勝1敗となった8人でトーナメント形式の優勝決定戦に出場したが、決勝戦で千代翔馬に敗れて再び幕下優勝を逃した[30]。その後は西幕下7枚目まで上がった11月場所で3連勝のあと4連敗で初めての負け越しを経験。, 一旦番付を下げて、東幕下9枚目で迎えた2016年3月場所ではみたび土付かずの6連勝。13日目の7番相撲は幕内経験者の大岩戸との相星決戦を叩き込みで制し、3度目にしてようやく7戦全勝で幕下優勝を果たした[31]。場所後の番付編成会議で5月場所での新十両昇進が決定した[32]。, 東十両13枚目で迎えた5月場所は新十両力士としては15日制定着以降史上6人目(その中でも10代では史上初)となる無傷の8連勝で勝ち越しを決め[33]、9日目で初黒星を喫したが14日目に2敗同士で千代の国との直接対決に敗れるまでは優勝争いの先頭に立つ[34]など、千秋楽まで優勝争いを展開した(この場所の十両優勝は千代の国)。因みに優勝を逃したことにより新十両で中日勝ち越しを達成しながら優勝を逃すという、15日制定着以降では初の珍記録を作った[35][36]。7月場所では負け越したが、9月場所では10勝5敗、11月場所では12勝3敗で自身初の十両優勝を決め、2017年1月場所での新入幕を確実にした。佐藤は「素直にうれしいです。まずは本割の一番に勝たないといけないという気持ちでした。もう一番やるつもりでやっていたのが、気が抜けたというかびっくりしました。徐々に喜びが湧いてきました」と優勝の余韻に浸った。新入幕の土俵に関しては「いい相撲を取らないと新入幕では通用しないんで、もっと力をつけないといけない」と気持ちを新たにし、将来の目標については「三役を目指したいです」と言い切った。[37]。場所後には、新入幕と同時にそれまで本名のままだった四股名を、上杉景勝にちなんで「貴景勝光信(たかけいしょう・みつのぶ)」へ改名した[38][39]。, 新入幕となった2017年1月場所は、初日から自分の相撲を取れず4連敗、しかしそこから4連勝で星を戻した。しかし9日目から3連敗を喫し、14日目に十両の大栄翔に敗れて8敗目、千秋楽は勝利をあげたが結局7勝8敗と新入幕勝ち越しとはならなかった。2017年3月場所前の座談会では1月場所前の冬巡業で足首を捻っていたらしいと甲山(元幕内・大碇)や竹縄(元関脇・栃乃洋)から明かされた[40]。3月場所は3勝3敗の7日目以降8勝1敗と大きく星を伸ばし、最終的に11勝4敗で敢闘賞を受賞した。5月場所は2場所連続となる11勝4敗の好成績。特に11勝目はこの時点で同じ20歳でこの場所新入幕の阿武咲を破って得た白星であった。激しいぶつかり合いを押し出しで制し「すごくうれしい。同い年、幕内で唯一の同級。小さい頃から知っている相手と、最高の舞台で戦えることがうれしいです」と声を弾ませた[41]。この場所で琴奨菊が東関脇2枚目で7勝8敗と負け越し、平幕で11勝を挙げた力士の中で貴景勝は最も高地位であったため、番付運次第では7月場所での新三役も有り得たが、三役から平幕に落ちる力士がいなかったため7月場所での新三役を逃した。それでも7月場所は西前頭筆頭まで地位を伸ばした。7月場所4日目の白鵬戦では突き合いとなり、途中で離れたまま相撲が止まり、白鵬がぶつかり稽古のように胸を出すポーズを取った。8秒の間ができたが、呼びこまれるように差しに行った貴景勝はそのまま寄り切られて敗戦[42]。結局大関以上との対決ではこの場所1勝しただけで休場した照ノ富士以外からは白星を得られず、5勝10敗と上位陣の壁に阻まれた。9月場所は一進一退の星取りであったが14日目に6敗目を喫するまで優勝争いに加わっており、最終的に9勝6敗の勝ち越し。この場所は優勝した日馬富士から金星を獲得したことが評価され、殊勲賞を獲得[43][44]。同学年の親友で、中学時代から全国大会で何度も顔を合わせている阿武咲がこの場所5日目に日馬富士から金星を奪ったことに刺激を受け「俺が先に行きたかった」と悔しがっていたが、自身も遅れること5日、念願の金星獲得となった[44]。千秋楽の支度部屋では「8勝ではもらえないと思っていたので、今日勝とうと臨んだ。今場所はしっかり押し相撲が取れて、自分の相撲を貫けた」と納得している様子だった[45]。この場所は阿武咲も共に三賞を受賞したが、満年齢で言って最年少の幕内力士2人が揃って三賞を受賞した例としては5例目[46]。2017年11月場所では横綱・日馬富士、さらに稀勢の里からも金星を獲得した。この場所は11勝4敗で殊勲賞を受賞し、2018年1月場所での三役昇進を確定的なものとした。千秋楽のインタビュールームでは「かっこ悪いところを見せないように、がんばりました。」「実力がないので、気持ちでいくしか自分にはないので、集中して何も考えずに無心でいったのが良かった」と場所を振り返り、スポーツ紙各社の取材には「上位陣にも無心でいきました、自分が緊張する必要はないので胸を借りる気持ちでいくだけです」「実力と自分の相撲をもっと磨いてから結果は後からなので、とにかくもっと強くなりたいです」と語った[47]。, 2018年1月場所は部屋の兄弟子貴ノ岩が被害者となった暴行問題に対して調査への協力を拒絶した貴乃花が理事を解任される事態となった上で迎えたが、自身は「大丈夫。場所で頑張るだけ」と影響を否定した[48]。しかし場所は5勝10敗と大敗に終わり、新三役場所は幕内上位の壁に跳ね返された格好となった。西前頭3枚目で迎えた3月場所は6日目までに両関脇を破るなど3勝3敗の成績だったが、場所前から痛めていた右足首の状態が悪くなり、精細を欠く内容で7日目から4連敗。そのまま場所11日目に「右足部挫傷で疼痛著明であり、約6週間の安静を要する見込み」との診断書を提出し、同日より入門以来初の休場。この休場の悔しさから心機一転し、大好物のファーストフードと炭酸飲料を止め、栄養学についての勉強を始め、20種類以上のサプリメントを摂取するようになった[25]。西前頭10枚目に番付を落とした5月場所は7日目までに幕内下位の力士を相手に2勝5敗と苦しんだが、中日以降は8連勝と調子を取り戻して10勝5敗。西前頭3枚目で迎えた7月場所は、2大関1関脇、さらに同場所好調だった平幕・朝乃山に勝つなど存在感を発揮し、前場所に続いて10勝5敗。9月場所は4場所ぶりの小結に復帰し、9勝6敗と三役で初めて勝ち越した。, 2018年10月1日より、師匠貴乃花の日本相撲協会退職に伴い自身が所属する貴乃花部屋が消滅し、元小結・隆三杉が師匠を務める千賀ノ浦部屋に移籍[49]。, 2018年11月場所、初日に横綱の稀勢の里、2日目に大関の豪栄道に勝つなど6連勝と好調、7日目に御嶽海に敗れるものの、その後も好調を維持。14日目に優勝争いをしていた高安との直接対決には敗れたものの千秋楽は勝利、その千秋楽で優勝を争っていた高安が本割で敗れたため、小結において13勝2敗の成績で幕内初優勝を果たした。同優勝にまつわる記録は次の通りである。, 2019年1月場所は新関脇として臨み、直近2場所が三役(小結)だったため、成績次第では「三役に3場所連続で在位して延べ33勝」の目安をクリアでき、大関昇進の可能性があった。同場所は4日目に横綱・稀勢の里が引退したり休場者が続出し、中日の「平成最後の天覧相撲」も盛り上がりに欠ける相撲が目立ったが、貴景勝は阿武咲との対戦を押し出しで制し、存在感を見せつけた[52]。10日目に髙安に敗れた時点で7勝3敗となり、同日時点で10戦全勝だった白鵬と3差で優勝争いからは遠ざかった。しかし白鵬が11日目より3連敗し14日目より休場、一方で自身が白鵬戦勝利も含め連勝を続けたことで、14日目を終えた時点で2敗の玉鷲を3敗で追う形となり、他力ながら連覇の可能性が生じた。もし千秋楽の本割で玉鷲が敗れ自身が勝ち、続く優勝決定戦で自身が玉鷲に勝てば、大相撲の優勝制度導入以降初の関脇以下での連覇を達成するところだったが、玉鷲の勝利によりその可能性は消滅、直後の大関・豪栄道戦では押し出しで完敗し最終成績は11勝4敗となった。勝った11番中9番が押し出しと押しに徹した場所であり、押し相撲を評価されて技能賞を初受賞[53]。直近3場所で三役に在位した上で合計33勝を挙げたが、2018年11月場所に上位陣との対戦が少なかったこと、時々見せる引き技など相撲内容が良くなかったこと、千秋楽で大関の豪栄道に完敗したことを理由に大関昇進は見送りとなった[54]。阿武松審判部長は「もう1場所見せていただきたいと思います」と審判部としての見解を示し、さらに2018年9月場所が9勝止まりであったことにも触れた[55]。, 2019年初頭の一部報道では「『組んだら幕下以下』という押し相撲一辺倒である部分から現状では将来性が乏しいのでは?」という、後に大関昇進を見送られることに対する兆候を感じ取ったとも捉えられる分析も見られた[56]。ただ、阿武松審判部長は、3月場所で10勝以上することが大関昇進の最低ラインと答え、場所前の相撲誌の記事では「10勝以上すれば、当確ランプがともる」と報じられた[57]。1月場所千秋楽で右足裏を痛めて本格的な稽古の再開は3月1日まで待ったが、稽古再開のその3月1日には出稽古に来た逸ノ城に対して好調を示した[58]。, 2019年3月場所は10日目の鶴竜戦で勝ち越しを果たす[59]も、14日目まで9勝5敗と以降は失速し、阿武松審判部長から「千秋楽の内容次第」と大関昇進について見解を示され、千秋楽を7勝7敗で迎える角番大関の栃ノ心との一番に昇進の行方が懸った[60]。結果大関栃ノ心に完勝して10勝5敗で今場所を終えた。千秋楽の白星を収めた一番については「今場所は、父親が見にきたときに全部負けていて情けなかったので、最後に勝ててよかった」と話した。阿武松審判部長は「私の記憶に残る中でこれだけ押し相撲で安定して白星を挙げられる力士はいなかった」と押し相撲を貫いた強さを高く評価し[61]、協会に貴景勝の大関昇進を諮る臨時理事会を要請し了承された。これにより貴景勝の大関昇進は確実と報じられる[62]。27日に正式に大関に昇進した。なお千秋楽の貴景勝-栃ノ心戦の結果により、逆に栃ノ心は大関からの陥落が確定したため、5月場所の番付は3大関で番付上の大関の人数としては変わらないが、27日に貴景勝が大関に昇進した後も、5月場所の番付発表までは栃ノ心は大関として扱われるため、その期間は4大関となる。, 前相撲から取って初土俵から所要28場所での大関昇進はこの時点で年6場所制定着(1958年)以降日本出身力士としては史上1位、全体でも史上6位のスピード記録である[63]。「押し相撲一本やりで大関に昇進したのは大受以来のことである」という声も聞かれた[64]。昇進伝達式では「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進してまいります」と口上を述べた[65]。, 4月20日の春巡業柏場所では高安、栃ノ心と自身の新旧大関による申し合いが行われたが、5勝8敗。この春巡業で相撲を取る稽古は1週間ぶり2度目だが、調整の出遅れをうかがわせた。しかし、「前回に比べて全然いい。もう1段階、体を膨らませればもっと良くなる。なかなか(3大関での稽古は)できることではない。いい稽古ができました」と本人は焦らなかった[66]。, また、大関昇進に伴い、母校の埼玉栄高校から新しい化粧まわしが贈られた。先輩大関豪栄道の昇進時の際も、母校から化粧まわしが贈られていた。関係者からは、「学校から2人目の大関。気持ちを込めて贈りたい」と明かした。また、貴景勝は、この日、群馬県の高崎市での春巡業で、2日連続となる申し合い稽古を8番とった。貴景勝は、「この2日間はどれくらい体が動くか確かめた。勝ちにこだわるから内容も考える」と、新大関場所へ気合を入れた[67]。ところが5月6日の横綱審議委員会の稽古総見では、白鵬を除く三役以上の力士との申し合いで3勝8敗と不調が伝えられた。鶴竜らを押し切れずにつかまる内容が目立った[68]。, 2019年5月場所、2勝1敗で迎えた4日目に寄り切りで御嶽海に勝利したが、この取組で右膝内側側副靱帯を損傷。このため5日目(5月16日)からは休場となった[69][70]。20代千賀ノ浦は「無理に(相撲を)取って相撲人生を終わらせるわけにはいかない。ゆっくり時間をかけて治して欲しい」と話した[71]。休場が発表された際に公開されたスポーツメディアの記事によると、場所前のニ所ノ関一門の連合稽古の時点で既に首を痛めていた様子[72][73]。しかし貴景勝本人は17日深夜に痛みが引いたとして、千賀ノ浦に出場を直訴した。このため千賀ノ浦は取り口について「(四つ相撲をしようとせず)突き、押しのいつもの自分の相撲を取って、絶対に下がるな」と念を押し、「再び痛みが出た際には半ば強制的にでも休ませる」ことを条件に提示。本人がそれを了承したため、千賀ノ浦は8日目(5月19日)からの再出場を認める意向を明らかにした[74][75]。, 元師匠である貴乃花は5月19日の「一般社団法人 貴乃花道場」設立を発表する会見において、マスコミからの質問に対して「貴景勝が大関に上がってくれたっていうことが、私の何よりの喜びで、今日からまた再出場するものですから」と述べたうえで、自身が協会を退職している立場から「直接は教えることができないんですけれども、生き様というか、生きようを今場所残りの相撲でどれだけ教えてくれるかという期待感と、まだ上がありますので、目指してほしい」と願う発言をしている[76]。, 再出場の8日目に碧山にはたき込みで敗れ、3敗目(2休)を喫した[77]。なすすべもない敗退で、土俵下で一番を見ていた高田川審判長は「出たからにはちゃんとした所作でないと、相手にも失礼。出たことで、もし大きなけがをしたら、相撲人生にかかわる」とコメントし[78]、NHK専属解説者の北の富士も中日新聞に連載中のコラム「はやわざ御免」で「貴景勝は休んだ方が良いと思う。以上。」と述べるなど[79]、関係者の反応は厳しいものであった。貴景勝本人は支度部屋では「いつも通り。万全」と取材に対応していたが、打ち出し後に千賀ノ浦が本人と会談し「相撲人生は長いから、我慢して無理はするな」と伝えた事を明かした。本人は出場の意志を示したが、夜11時30分頃に千賀ノ浦が電話で「休場しよう」と本人に伝え、最終的には9日目(5月20日)から再休場となった[80][81][82]。再休場の診断書には、新たに「右膝骨挫傷」の診断結果も加わった[83]。千賀ノ浦は「(再出場は)間違ったことはなかった。本人も経験して、相撲を取って納得したのでは。(休場は)昨日の相撲を見て判断した。休場は本人も考えていたかもしれない」と説明したうえで、再々出場については「一切ありません」と否定した[84]。稽古再開時期は未定で、5月場所中は治療目的以外の外出はせず、安静にするよう指示したという[85]。, 7月場所前の6月12日に千賀ノ浦部屋で稽古を再開した[86]。医師やパーソナルトレーナーなどの膝専門チームのサポートを受けてリハビリとトレーニングに励んでおり、師匠の千賀ノ浦も方針に理解を示しているという[87]。7月場所出場の可否については「あと1か月弱、チームの人とも『この週にこういう事が出来たら出られる、出られない』というところでやっている。出られるのであれば出たい。そういう中でやっている。焦る必要はないけど」「治らなければ来場所休んで、また次を目指すしかない」と本人が説明した[88][89]。同月16日には都内で大関昇進披露宴が行われ、八角理事長や芝田山広報部長、横綱・白鵬・鶴竜、荒磯ら協会関係者をはじめ、両親、埼玉栄高の山田道紀監督、プロレスラーのオカダ・カズチカら約2000人の出席者が祝福に訪れている[90][91][92]。, 7月場所は番付発表後となる6月29日になっても実戦的な稽古に復帰できないなど調整の遅れが報じられた[93]。7月2日、名古屋入りして初めて稽古に出てきた本人は「段階を踏んでやってきた。これだったら問題ない」と記者団に話した。しかし幕下力士5人との稽古で、関取衆との稽古なしでぶっつけ本番となってしまうため、千賀ノ浦は「それなりにやったけれど、甘くはない。本人と話します」とコメント。稽古を見たNHK解説者の舞の海も「仕上がっていない。力士人生を台無しにしてしまうかも」と治療中の怪我悪化への懸念を表明した[94]。そして取組編成会議前日の4日に、出場可否の判断を先送りしたことが分かった。千賀ノ浦は「私は休場しろと説得したけど本人から『出させてほしい』とお願いされた。今日の夜までは分からない。今日中には決める」と話し、4時間にも及んだ本人との話し合いが平行線をたどったことを明かした。この日、本人は相撲を取る稽古を行わず基礎運動での調整にとどめ[95][96][97][98]、CBCの「名古屋場所前夜祭」収録に出かけた。その後、部屋に戻って再度の話し合いとなり[99][100]、最終的には千賀ノ浦の休場勧告[101]を受け入れることを同日夕に申し出た[102][103]。, この休場により大関を僅か二場所で陥落する事になった。新大関から二場所で大関を陥落するのは2000年7月場所の武双山(後に特例復帰)以来19年振り、史上2人目である[104]。「5、6年後、この経験があったから今の自分があるといえるように、気持ちを入れ直してやるしかない」「最後の番付(横綱)を目指すために治さないと」と本人はこれから先への決意を述べている[105][106][107]。, 7月場所の初日となる7日、日本相撲協会は貴景勝の診断書を公表した。「右膝内側側副靱帯損傷で7月4日より5週間の加療を要する」という内容である[108]。8日目(7月13日)に千賀ノ浦は貴景勝について、14日に帰京して15日から都内で治療・リハビリに励む予定で、28日からの夏巡業には初日から参加させない方針を明らかにした。可能なら、途中合流する意向であるという。千賀ノ浦は「関取衆と相撲を取れる状態になること」を出場における一つの目安とし、「押し相撲は相撲勘が鈍るのが早い」「(稽古の)貯金というものはない。常に押し相撲をどんどんやっていって、体をぶつけないといけない」と話した[109][110]。, 7月22日、横綱審議委員会の定例会合後に矢野弘典委員長は7月場所で4人いる大関が全員休場したことに苦言を呈する発言のなかで「貴景勝は(来場所)出るなら万全にしてまた大関に復帰する活躍をしてほしい」と奮起を促した[111]。, 7月31日、千賀ノ浦は貴景勝が治療・リハビリに専念するため「本人とも話すが、今のところ巡業は考えていない」と述べた。しかし秋場所には「本人ももちろん出たいだろうし、私も出す考えだ」と話し、本人が関取衆との申し合い再開を「(秋場所の)番付発表(8月26日)の3日後くらいからできればベスト」と見通しを語った[112][113]。

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