座学の前に、栃窪峠に通じる古道を経て集落のシンボルである「たる山」に登った。周辺の景色を見渡しながら、テーマの「水」についての説明や集落の歴史にまつわる話などを聞いた。

(栃窪の「水」)
1)栃窪の水源
栃窪から南西部の山々の水がもっとも豊かだが、水利権を巡る裁判で隣の天野沢集に負けたため、その水が使えなくなった。栃窪の後ろにあたる、自分たちが立っているこの辺り(栃窪峠の頂上)の水は、ほとんどが十日町方面に行ってしまっているらしく、栃窪には流れてこない。
水は田んぼには大切なものだが、十分な水の確保には昔から苦労している。

栃窪の水源は雨水や雪どけ水、窪地にしみ出る水など、天水と地下水。栃窪には「三大水源」と言われるわき水があり、少しはそれでうるおっている。日照りでもかれることがなく、米作りにも飲み水にも利用した。昔より水の量は減ったようだ。(写真でそのうちの一カ所を訪ねたことを載せる)
天野沢集落と栃窪集落に水路が分かれる分岐点がある。水不足の時は、その場所に線香やロウソクを持って行き、1本が燃えるごとに水の流れを変えるなどして水を分けあった。
昔は田んぼから田んぼへ水が流れる仕組みであったが、今は田んぼからいったん排水されると水は側溝に流れていってしまう。これは平場のやり方で、本来は違う考え方をしなければならなかった。用水と排水を一緒にしなければ、栃窪では全部の田んぼに水が行き渡らない。
わき水を利用しながらの作付けなので、冬の間に雪を集めたダムを作るなどして水不足の心配を解消したい。今も不足し始めているが梅雨に入れば心配ない。
2)栃窪やその周辺の温泉
今では使われていない、集落の上の方の棚田地帯で石油を掘ったことがあったが、石油は出ず鉱泉が見つかった。笛木健作さんの家の親戚が昔そこで温泉をやっていたが、なだれでつぶれてしまった。同じように石油を探して見つかった温泉が十日町市の「鷹の湯」。その他にも大沢山温泉などがあり、すべて鉱泉。西山の水脈には鉱泉が豊富なようだ。
(栃窪の地理学、歴史など)
1)地形
栃窪が含まれる「西山」というところは、海底が隆起してできた地域。貝の化石がたくさん見つかっている。
2)歴史
栃窪峠は、三国峠と清水峠へ行くための分岐点で、重宝に使われてきた道。「湯沢線」という県道が通っていたほど、交通量があった。
栃窪の始まりは古く、応仁の乱の際、京都から湯沢の貝掛温泉に逃れてきた万里集九(ばんりしゅうく)という僧侶が、栃窪峠で詠んだ句が今でも残っているそうだ。
3)自然、暮らし
栃窪峠の斜面を見渡すと、一面に50センチから1メートルくらいの丈の雑木が生えているが、こうした木は「柴木」と呼ばれ、全部切って燃料にしていた。山の表面には何もなく、冬はなだれが起きやすかった。夜風呂に入っているとものすごい音がしたものだった。
*峠の頂上に薬師如来をまつった小さなお堂があり、その隣には樹齢300年ほどと思われるスギがあった。スギの周囲は、大人4人が両手を広げて囲むほどで、6−7メートルはあると推測された。
100年ほど前に建てられたという、講師が住んでいる家は、お堂の近くの木が使われているとのこと。冬、「だいもち」と呼ばれるそりを使い、切った木をすべり下ろしたそうだ。