チャタジーさんトークその1

私は,大学生のころからインドのスラムの子供を助けようという仕事をしていたので、農村部の状況はそんなに知らなかった。実際仕事しながら農業のことと自然のことを学びました。後から分かったのは,大学で農業のことを勉強しなくてよかったということです。

頭の中に何が出来るか出来ないか決めていれば実験することができない。

第一に言いたいことはこれ。実際やってみようという気持ち。知らなかったからいろいろやった。それでインドみたいな国に,日本の、時によって外から来たパクチョイとかも作った。実験の中に、春菊とか冬の国のものもインドの冬に作った。インドは幅広い面積あるから、幅広い気候があります。夏に45度になって,冬は5度ぐらい。いろいろなものをチャレンジするのは面白い。

どんどん分かってきたことは、農業関係で一番人間に教えてくれるのは,人間もあるけれど、雑草が大切と言うこと。雑草は僕たち人間が植えられないものですね。自然に入ってくる。だから、その気候にあわせた生活は自然になっている。

有機農業の話と現在教えている生態系の農業(ecological agriculture)の違いがそこにある。有機農業は実際現在やっている農業とそんな変わっているものを作っていない。ただ化学肥料や農薬をどう避けるか、いろいろ実験している。それも必要だけれど、その考え方は、例えば、あくまでもトマトが欲しい。トマトの畑にある、いらないものは雑草。それが今の農業の考えですね。代わりに、その雑草がなぜここにあるか。自然の心になったら雑草を中心にして土は僕たちに何か伝えたいということ。それを聞く気持ちも、聞く時間も、人間が持たなくなってきている。現地に、自然に何が育っているかを考えなくなっている。何を育てるとお金になるのかを考えるだけになっている。そこから始まる。

だから今の農業は、返事から始まる。答えから始まる。質問から始まらない。そこが問題。質問は自然に、この土に、この気候に何がうまく育っているか、そこから始まる。そこから始まるべきだと思います。
農業よりも資源のマネージメントということですね。どうやってここに生えている雑草を中心にした生活を出来るか。
自然の植物の種類はすごく幅広いですね。少なくても3万ぐらいの種類はあります。その中の3000ぐらいは食べられる。ただいま僕たち毎日の生活で食べているのはその中のただ1%、30ぐらい。食べている8割は、15種類ぐらいになります。
僕たちの食べるパンとかうどんとか,限られたもの。あるジャガイモ、あるキャベツ、ある米。廊下にある自動販売機には、いろいろな形のものが30ぐらいあるけれど、会社は2つだけですから、それと同じように僕たちのダイバーシティはすごく狭い。

僕の出身のベンガル語で言うと「世界中は暗い」。自分の目が詰まっていれば、ここに黒い目隠しをまいていれば世界は暗い。でも目が開いていれば見える。目が詰まっていると何で見えるかといっても分からない。本当に目を開けることが大切です。

ものはいろいろあっても、そのものは僕たちの問題解決のためにどう使えるか、それが人間の文化です。この辺に何があったか。それによってここの生活生き方が始まった。人間と動物の違いは何でしょう。ほかの動物は,写真も撮らないし記録も残さない。だから猫がネズミを取るのは、5000年前とだいたい同じです。猫は会議しないし、プロジェクターも使えない。だからどうやったらもっと上手に安全にネズミを捕まえることができるか。それを考えないですね。

人間はどんな仕事をしながらでも、どうやったらもっとうまく出来るか、もっと早く出来るか、もっと快適な方法がありますかと考える。アクションとリフレクションがいつもつながっている。それでいろいろその習ったものから文化になる。その流れが、何かで止まるとしたら問題になる。いまのところ何で止まっているか。インドのように読めない書けない人が半分いるところでは、深い経験を持っても相手に伝えることができない。深さはあるが広さがない。代わりに僕たちの時代、すごく広いコネクションはあるが深さは全然ない。この二つをどう合わせるか。だから深さがある現地の人間。深さのないどこに行っても住むことができる、東京に行ったら東京に住める、大阪に行ったら大阪に住める、けれども東京も大阪も回りに何があるか知らない、浅い文化の人間がいる。

昔の人はいろいろのことを見た。見ながらそれをどうやって使えるかよく知っていた。今は、農民はどんどん自分の土地で「マネージャー」からただの「労働者」になってしまっている。どういうタネを使うべきか。専門家が一番分かっている。いつまく時期か、だれか専門家が教えてくれる。農民は何の専門家かといったら、ほかの偉い人のことを聞けばそれだけで十分、となる。僕たちの考えでは、それは十分ではない。

専門家から農民は勉強するべきだけど、時々反対も必要と思います。それがないから困っている。今の社会のほとんどの問題は,何でも、同じようワンウェイストリートみたいに、こっちに行くけどこっちに来ない。現地の人がどう思っているかは横において、僕たちは開発するという道にいる。もっと便利になるための出発点は、そこの人間が何から習ったかから始めるべき。エコロジーを中心に、その地域に何を育てる、その地域でどうやって生活出来るかを考えることになる。ほかの動物は能力が限られている。どういう食べ物や、どういう水があるか、外は雪で、エアコンを作れないので、鳥もカエルもヘビもその気候に同化している。有る意味において僕たちはすごく賢いともいえるし、ある意味ですごくおかしな生活している。

何でと言ったら、自然の中に、大きい木もあり、小さい木もあって、ツルもあって、草もあって、それが生態系。これが全部エコロジカルに見たらプラントですね。プラントはどういう系になっているかというとproducerですね。太陽のエネルギーと二酸化炭素で全体の食べ物、僕たちの食べ物の99%は植物から来ている。塩とか除いてですね、それは分っている。

人間でも牛でも鳥でも、これはあくまでもconsumerですね。消費している。植物が作ったものは、これが食べて、植物食べるか、それを食べたものを食べて生きている。
食べた後は、このうんちとかおしっこから、wasteはここにまた戻るためにまた微生物、虫、土の下にあるミミズとかが必要になる。decomposerという。この3つの中に、エネルギーのexchangeが動いている。太陽からもらったエネルギーがこう回っている。

で、なぜ人間がおかしいことをしているかというが、このペンは雪の中や土の中で10年後も余り変わっていない。分解出来ないものを作るのは、人間だけです。ビニールも、いつまでも残る。便利だけどそこから自然の問題が始まっている。自然は僕たちのゴミをどうやってこのサイクルに入れられるか。ほとん、できない。

農業は、もともとは太陽のエネルギーで食べ物を作っていた。現在はガソリンのエネルギーで米を作っている。昔の人間にとって1週間ぐらい働いて1カ月分の食べ物できるのならそれは価値があった。いま僕たちは1カ月のエネルギー使って、1週間の食べ物作っている。経済的にも環境的にもそういう文化が残れる可能性はあまりない。自然が何万年かかって作った1リットルのガソリンを10分ぐらいで使ってしまう。同じように、水もただでもらうことは出来ない。汚したら元に戻さないといけない。これは生態系のメッセージです。そのメッセージを農業に活かそうとするのが生態系の農業です。