ものには2種類あります。生きているもののサイクルはこれ。生きていないもの、無機物には、固体と液体と気体のサイクルがある。全部の姿を普通に目で見ることが出来るは水だけです。外の雪も水。湯気も見える。鉄も、気体にも液体にもなるがそれは工場だけで見ることが出来て、だれもが見えるものではない。こういう生きていないものもサイクルがある。
水だけ、ちょっとほかの金属とかミネラルと違っているところがあります。どこが違っていますか。ほかの全部のものは高い温度になったら大きくなる。鉄の棒は温度が高くなると長くなる。水だけは4度ぐらいで一番小さくなる。それより低くなったら増える。11リットルの水は氷になると12リットルになる。生きものにとってそれが大切なことです。何でこれが大切でしょうか。なぜ大切でしょうか。
みんな知っている。この町に住んでいる人はみんな知っていることです。
昼ご飯食べた家にも水が流れて雪が溶けていた。そこに返事がある。もし氷になって重くなったら下から凍ってくる。それだったら生きものは全部なくなる。氷より水が重いので、氷の下の水の中に魚も植物も残ることが出来る。そうでないと世界中の海から上に水が残ってしまう。これがあるからこの水のサイクルが面白い。
現代の資源としての水の話をします。氷になって雪の状態で窓の外にあるのも水。それは今日の水。池や川の水だったら7日ぐらい前の水かも知れない。ハンドポンプで5-6メートルからくみ上げていればこれは30日ぐらい前の水、電動ポンプで上げて100mぐらいの深さからの水、この水の歳は20年前かも知れない。水はすぐ土に入るけれど、どんどんゆっくりになって深くなるとゆっくりだから、窓の外の雪が赤ちゃん水だったら、深い井戸からの水はじいちゃんの水。僕たちはおじいさんたちのためたお金で生きている。自分たちは何も作っていない。そこが問題。いまどれだけ雪が降っていて、いま地下水をどれだけ取っているかの関係。
人間がどういう農業をしたら、前の時代の10年でたまったものが1カ月で終わってしまうと言うのが問題。こういう風に考えて,開発を考える。
僕たちの時代は、大学とか科学の時代の人間は,自然はきれいだけど,自然はあんまり便利じゃない。雪が便利じゃない。動物は便利じゃない。野生の動物、神様の作った自然、それはどこか離れた所にあった方がいい。それは森であった方がいい。自分の畑の中に自然を見たくない。自然は保護区に行って見えるべきだと考える。海に行ってきれいな水、きれいな月、きれいな星、見ればいい。町の生活では、星は見えない。煙が見える。
今の生活の中に育った僕たちにとって、自然の作ったものは、その窓から入ってくるちょっとした光だけ。以外は全部人間が作ったものです。この建物も、この照明も、このコンピューターも、このペンも。だから、気持ちとして僕たちは何でも出来る。自分たちはすごい力持ち、この部屋の中にいたらね。でも外に出たら滑りやすい、面倒くさい、雪降っているとなる。自然と協力するのではなくて、自然と戦うというのは、現在の僕たちの技術の中心になっている。
だから、ほかの生き方もある。もっと自然とともに生きて、自然は自分の畑の中に取り入れる。もちろんうまくいかないかもしれない。いまから500年前にやっていたことと、現在やっていることと大分違うかも知れない。いま稲を作るのは前よりずっと難しい。水が汚れている。川が汚れている。土が汚れている。農民のおかげでもあるし、農薬とかが、農薬だけじゃない。ガソリンの,僕たちのエネルギーのおかげで、いまの文化の中で長い間に出来た資源を少ない時間で使ってしまったから、どんどんゴミが増えている。ゴミの文化になってしまっている。使い捨ての文化になっている。そうなって、ダイバーシティがどんどん減っている。
古い時代の田んぼの姿を考えてみると、水があって、その中に稲があった。この僕たちの頭で考えると、これ商売としてあるいは農業として考えると、水があって、土があって、稲が出来る。稲の生産に関して、1時間あたり、1ヘクタールあたり、水1リットルあたり、どれくらい米を生産出来るか。それはefficiencyの問題になる。インドは1ヘクタールから2.5トンぐらいコメと作る。日本は8トンぐらい作る。ああ科学偉いなあと。2.5から上げて、6トンあるいは8トンと取れて。偉いけれど本当に偉いか。これを作るためにどれくらい水を使っているか。もしインドの人が使っている農薬の20倍を日本人が使って、化学肥料を3倍使っていたら、そんなに偉くないかも知れない。
インドの農業と日本の農業、比べてみると、いま1キロの米の値段は日本でいくらですか?300円から400円。でガソリンは、150円?だから日本では1キロのコメと3リットルのガソリンの値段が同じになる。インドでは、全く反対です。1リットルのガソリンで3キロの米を買えます。ガソリンの値段はインドも一緒です。それで3キロの米を買える。それだからインドの経済と日本の経済は5倍から10倍違う。ここでもし僕が道端で簡単に朝ご飯を食べて、2つのトーストと1杯のコーヒーとゆで卵1つを取ったら、いくら払うか。日本で同じものを食べたら500円、270ルピーぐらい。インドではそれで1週間から10日間、同じものを食べられる。外から見るとああ貧乏だなと思うかも知れない。1000円もらうためにどれだけ働くか。もし米と作るために日本の技術を使ってインドでたくさんコメ作っても、そのコメの値段がこれまでの10倍になってしまったら、食べる人は減ってしまう。インドの農民が一生懸命働いても、その半分のお金しか一日にもらえない。1日500グラムのコメだけの暮らしになる。ガソリンの上で作っているコメの技術は経済的にあり得ない。
これは田んぼの生態系です。ああきれいな田んぼですねえ。どうやってワラを減らしてコメを増やそうかと、科学者は考えている。昔の稲は背が高かった。背が低くなってタネが増えた。偉いことです。稲の生産だけは増えたけれど、全体の生産はずっと下がった。
どういうことかというと、この中に他の生きものがいた。魚やカエルもいた。いろいろ雑草もいた。雑草の30種類以上を、人間が食べ物として使っていた。その中に虫もいます。日本人もどうやってイナゴを食べるか研究した。今はとてもお金持ちか貧乏かの人だけが食べる。普通の人は食べなくなった。この中にいろいろほかのものがある。ここは稲のほ場だけど、この生きものたちにとって、住む場所でした。それの生産がゼロになってしまった。コメは増えたけれど、食べ物の生産は減ってしまっている。それは考えないと生態系の農業は成り立たない。
10年ほど前、世界中の700人ぐらいの偉い科学者が日本やインドや世界中から集まって3年ぐらい座って、考えたですね。日本語で何と言うか分からないが、IIASEDという報告が出ている。農業はどうすればいいか。コンピューターに入れたらすぐ出てくる。すごい厚さの報告書です。読むのに3年かかります。サマリーも40ページぐらいあります。日本語でもサマリーが出ていると思います。その中に科学者が言っているのは、農業はmulti dimensionalとmulti functionalということです。
multi functionalな農業と言うと、さっきのように何か生産する,経済的な面で何を生産しているか。もうひとつはhabitat、生きものの棲む場所、もう一つは人間の文化が増やせる場所。オジイサンやお父さんから子供が次の時代どうやって生きていくか学ぶ場所でもありました。
今、僕たちは自分の回りは最後に勉強する。インドはそう。日本もそうだと思います。子供にとって自分の村の歴史,回りに何があるかから始まる。小学校ぐらいは世界にどんな海や大陸があるとか。中学ぐらいまで来て自分の国のこと。で高校か大学1年生になったら、山形県とか新潟県とかの勉強をするかも知れない。インドでは西ベンガルの経済がどうなっているか。それは大学で勉強する。自分の村の地図を書くのは大学院になる。どうして自分の回りに来るのに20年かかるのですか。今の教育の中に、ほとんどの子供は自分の回りに何があるか知らないで育って来る。
そこの資源、そこの水、エネルギーがどこから来るか知らない。子供いても、だれも自分の孫を田んぼまで連れてこようとしない。危ないかもしれない、農薬があるから、それ以外にそこから学ぶ気持ちそれがない。ということは、僕たちの文化から消えていく。つながりが消えて行くということです。
同じようにこの地域に住んでいても、昔の人間,昔のコミュニティであれば田んぼにどうやって水を守るか、マネージするか。どうやってみんな自分のうちの前に場所あけて雪がかからないような家を作るか、そういう考えがあった。その時人間は貧しかったけれど、心は豊かだった。今は、ポケットは豊かだけど心は貧しい。ほかの人のために何も考えないし、お金さえあれば機械も水も化学肥料も何でも買えるから、だれも協力しなくていいコミュニティはこの技術の中にある。
停電はいまの日本人は分らないけれど、5分停電したら明日の新聞に載る。ネパールでは、1日に半分ぐらいは停電になっている。カルカッタの町でも1日3時間ぐらいは停電普通です。ではどうやって解決するか。日本のホンダの機械買いましょう。その発電機で電気作りましょう。みんなの問題だけどみんなで解決するより、個人で解決する。ガソリン買うお金がある人はそうする。昔からの日本の考え、地震の後で考え直し始まっているかも知れないけれど、日本は核エネルギーであるときは大変偉いと思っていた。そんなことを日本人できると自慢していた。いまインドの政府はそういうことを言っている。日本より新しい施設だと言っている。自動車の技術は日本から30年遅れているのに。インドの政府は安心して下さいと言っている。日本の40年前の科学者は同じように、安心して下さいと言っていた。