学校に行かないという選択をする
「私の通っていた中学校は商店街を抜けた先にあるんですけど、途中の石畳の道を歩いている時に、『もう学校行かなくていいんじゃないか』と思って引き返しました。その瞬間は今でも覚えています。」
中学2年の夏休み明け、愛媛県の道後にある中学校に通っていた岩崎さんは、学校に行かないという選択をします。その背景には、集団生活に馴染めなかったこと、そして中学校に特有の閉塞感があったといいます。
「協調性はある方でしたが、合わないなと感じていました。その頃は発達過程の何かが原因で、朝がものすごく眠かったんですが、なんで同じ時間に目覚めて、必ず同じ時間に学校行かなければいけないのか。なんで同じ教室に入れられて、同じ年に生まれた人たちと、選んでもいない先生に勉強を教わらないといけないのか。なんでこんなにルールが決まっているのか。当時は、なんというか、そうした均質感や画一的なところが本当に嫌だったんです・・・。今でも嫌ですが。」
自ら不登校の道を選択した岩崎さんですが、もがき苦しむ時間を過ごすことになります。
「当時の日記を読み返すと、すごくフラストレーションが溜まっていた感じです。親が高齢だったこともあり、不登校というのを理解してもらえなくて激怒されました。それでも行かなという意思は固かった。ただ一方で、学校に行っている子たちは、もちろんちゃんと勉強していたり、進路を決めようとしたりしていて、周りもすごく気になる。自分ももっと勉強したい、お金も稼ぎたい、このままじゃいけない、変わらないといけない・・・悶々と考えていました。今までの人生の中で、一番必死に自分と向き合っていた時期だったと思います」
まだ小さな身体で真剣に今と未来に向き合う岩崎さん。ヤップ島プログラムに参加することになったのは、本人の言葉を借りると、そうした「荒れていた」時期のことでした。「フラフラしているんだったら、これ行ってみたら?」高野さんとつながりのあったお兄さんから勧められ、1999年、そして2001年の2回に渡って岩崎さんはヤップの地に足を踏み入れることになります。