「ボランティア」カテゴリーアーカイブ

エコプラス30周年記念「 知恵と体験の大バザール」詳報

11月19日に東京ウィメンズプラザで開催

 エコプラスが活動を開始したのは1992年。任意団体のエコクラブとして出発し、2003年に特定非営利活動法人ECOPLUSとなった30年間の活動に関わった人たちが一堂に会して交流します。

 環境教育の専門家、持続可能な農業に挑む人、国内外で活躍するビジネスパーソン、地域で新しい暮らしを築こうとする人など、多種多様な仲間が、エコプラスには集まっています。

 そうした仲間が、 エコプラスのテーマ「人・自然・異文化」を軸に、それぞれの知見・体験をもちより、自らのチャレンジを紹介し、交流し合える「バザール」です。

 現時点で下記のみなさんから、発表いただくことを表明いただいています(一部はオンラインでの発表)。これからもさらに増える予定です。どのテーマも魅力的で大変興味深いです。ぜひみなさまも大バザールにご参加ください!!

<当日の発表者とテーマ(予定)>※50音順
  • 浦邉藻琴さん(エコプラスの南魚沼での活動に参加・取材) 「なぜ“リモートじゃダメ”なのか?」

 2児と過ごしつつTV番組を作っています。「何で?」が口癖です。ドキュメンタリー取材の際、私はリモート技術が普及してからも必ず相手に会いに行きます。それは “リモートじゃダメ”だと感じるからです。では何が“ダメ”なのか?言葉にしにくいこの違和感。しかし私は、合理化が進む現代を生きる上でとても大切な感覚だと信じています。簡単な実験や議論から、一緒に違和感の正体を考えてみませんか?

  • 江﨑淳一さん(南魚沼での活動や国際シンポジウムに参加)「エコプラスとの関わりとSDGs教育」

 小学校教員15年目?総合的な学習の時間が好きです。子ども達に里山の良さを伝えようと栃窪集落でいただいたお米を育てたり,清水集落でいただいた原木なめこの原木を教室に持ち帰り,コマうち体験をしたりしました。今回は,そんなエコプラスとの関わりをお話します。また,子ども達が学んだことの作文を読み,歌っている映像があるので見て頂ければと思います。

  • 川上真理子さん(ヤップ島や南魚沼での活動に参加):「池田町の暮らし実践(副題:地方と都市or古民家or食)」

 早稲田大学卒業(2022.3)。高野ゼミでご縁のあった福井県今立郡池田町に移住。人口約2,300、町の9割が森の農山村。そんな町で暮らすとは、一体どういうことか。首都圏にいた頃とはまるで異文化でした。池田町に残ってる景色、暮らしの姿について、地方と都市の関係性のこと、古民家改修のこと、食べ物のこと…トピックでみていきます。

  • 酒井富美さん(エコプラスにスタッフとして関わる)「地域(旧伊南村)での今の暮らし」

 福島県南会津郡南会津町(旧伊南村)で稼業(民宿業)を営みながら、現在地元の小学校で講師として働いています。今の伊南地域での課題「急速に進む少子高齢化、過疎化」20年前は100人余りだった地元の小学校全校生は今30人余りになったことや、ちょうど息子が高校進学になるタイミングで「地元の高校統廃合」で村を(15歳で)離れる子どもたちが増えていくこと。

 大変なことをあげたらきりがないけれど、同居している92歳のじいちゃんや87歳のばあちゃんの生きる知恵を学びつつ・・・この村での暮らしの大変さも楽しさもちょっぴり身に染みてわかるようになったことなど。

  • 陶山佳久さん(ヤップ島プログラムにスタッフとして参加、エコプラス副代表理事)「DNA分析技術を自然保護のために活かす:森林分子生態学者としての研究」

 東北大学大学院農学研究科教授。いつか自然を守るために貢献したいと思い続けていました。その夢が叶い、今は研究者の立場から、専門としているDNA分析技術を活用して、世界・日本・地域に残された生物の生態と多様性を理解し、その豊かさと共生する次世代を目指した研究を行っている話をします。

  • 高野義寛さん(1994年ヤップ島プログラム参加)「脱炭素牛肉を巡る珍騒動」

 メルボルンで単身赴任中。温暖化ガス排出要因の上位を占める、牛のげっぷに含まれるメタンガス。“牛”大国のNZや豪州は頭が痛い。そんな中豪州近郊で生息する、ある海苔を牛に食べさせると90%ほど排出ガス削減できるとの論文が発表されたことで巻き起こっている、ビジネス・政府・NGOの間の急速な展開について。

  • 高橋佐和子さん(エコプラスを支援する企業の広報担当、国際シンポジウムなどに参加)「地域から世界へ:バリ島の独自性と多様性」

 東京を離れバリ島で10年余、「住めば都」を実感する日々です。観光地として常に世界ランキング上位に入るバリ島には多くの人を惹きつける自然、文化、信仰があります。また、開発による自然破壊、貧困、観光業への依存など、問題が山積していますが、「閉塞感」という言葉を耳にすることはありません。ここで育った若者が小さな活動を世界に広げていく事例などを紹介し、バリの魅力を伝えます。

  • 當銘朋恵さん(ヤップ島プログラム参加)「南の島の星と民話と暮らしの話」

 沖縄石垣島のパイン農家です。学童クラブ支援員や星ガイド、ネイチャーゲームインストラクターもしています。日本の南端、沖縄県八重山諸島の島々にはたくさんの星にまつわる民話や歌があり、昔から星と共に生きてきた先人たちの豊かな知恵と暮らしと自然の様子が描かれています。南の島の暮らしと共に、星と人と自然の物語をスマムニ(島言葉)を交えてお話したいと思います。

  • 村上由美さん(国際シンポジウム参加など)「世田谷区で子ども食堂の活動をして感じていること」

 子ども食堂を2か所で開催している。2015年当時、子育てと両親の介護をしていた私は知り合いから声を掛けられて東京都世田谷区で子ども食堂を始めました。現在は代表として2か所の子ども食堂を運営しています。この活動を通して私が得た経験、広がり、感じていることを「人」との繋がりをテーマにお話をさせて頂きます。

  • 矢原陽子さん(ヤップ島プログラム参加、ヤップの若者の日本研修ではホスト役も)「合氣道 護身術体験と調和的な人とのつながり方」

 20代の頃ヤップ島プログラムに参加。合氣道は学生時代から20年以上続けています。最近、突然無差別に斬り付けられるという物騒な事件がよく起きています。そんな理不尽な暴力からいざという時ご自身を守る方法をお伝えします。子供や女性でも簡単にできます。また、合氣道の根底に流れる相手を敬い、尊重する心は護身だけでなく、対人関係の場面でも人生を豊かにしてくれます。技と心が一体化する感覚を一緒に体験してみませんか?

ヤップ島でのボランティア活動が半年に・・早稲田大学の千場朗さん

ヤップに海で、愛犬マックスと。
 2月24日で、ヤップでの滞在が半年になった。
 頻繁に上を向いて歩くようになった。
 ホームシックで涙がこぼれそうだから、ではない。
 今日の雲の量、天気はどうか、月齢はどうか、庭のバナナの成長具合はどうか、地元の人がかじるビンロウの実は収穫できるか、古いココナツが落ちてこないか、自然と上を向く。日本で下を向いて小さな画面と向き合い、SNSで友達と連絡を取り合う、そんな生活から離れて久しい。

 私が、欧米等の大学での留学を選ばずに、1年間休学して、過去3度訪問したヤップを選んだ理由は、第一にお世話になった感謝の気持ちを行動で示すためであった。ECOPLUSがTamil地区の有志が作る環境保全団体(TRCT)と1年半のプロジェクトを行うと話を伺い、現地から参加しようと決心した。

 滞在期間中はこのプロジェクトを柱に、小学校の1~8年生の全学年で体育授業のお手伝い、今夏のヤップ・パラオ国際親善大会の為の野球コーチ、禁漁区内でのシャコガイの養殖・清掃活動、コミュニティワークなど様々な活動に挑戦している。これらの「ありがとう活動」は、地元の人たちと共に汗を流し、共に笑い合い、同じ目線で横に座る事が肝要であると学んだ。

 滞在予定は、残り4か月。今後もこの貴重な期間を大切にし、「日本に帰りたくない!」こんな事を心の底から思えるように、引き続き多くの事に挑戦し、ヤップの皆さんのために少しでも役に立てるように頑張りたい。

 千場朗(せんば・あきら)、21歳、早稲田大学教育学部3年の前期で休学。ヤップ島でのエコプラスが実施する環境保全活動にボランティアとして参加中。

豪雪の山里で大学生が「サービスラーニング」

すっぽり埋もれた1階の窓ぎわを掘り出す。

 新潟県南魚沼市栃窪集落で、2017年2月5日から8日まで、立教大学のサービスラーニング「RSL-南魚沼」が開かれました。サービスラーニングは、現場で奉仕活動をしながら実社会を学ぶ手法で、日本国内でもいくつかの先進的な大学で取り組まれており、立教大学は過去2年の試行を経て、今年度から正規科目として位置付けられました。

 参加したのは、1年生から3年生までの18人。政治、経済から心理、文学、社会など多様な学部学科からの参加でした。

地元のお宅で集落の農業について話を伺う。

 栃窪集落は、戸数54、人口約160人。半数の家庭が高齢者が1人か2人で暮らしている過疎の集落です。学生たちは、集落の長老から集落の状況についての講義を受けました。
「生活の営みとして何百年と続いてきた稲作は、産業としての農業になることを求められてきた」
「農地を集約して出来る大規模農家以外は、農家はいらないとされて、その結果として、過疎高齢化がさらに進むしかない」
「10年後に何軒の家がここに残っているか。集落の存続が危ぶまれる」
そんな生々しい現状に、学生たちは息を飲んでいました。

 期間中の奉仕活動は、高齢者宅などの除雪作業。まったく経験のない学生がほとんどだったので、スコップやスノーダンプといった除雪道具の使い方を地元の方に教えてもらい、作業にかかりました。屋根から落ちてきた雪で1階部分の窓が完全に埋まった家が多く、窓際部分を除雪して、室内に光が入るようにがんばりました。

伝統の輪かんじきをはいて背の丈以上もある雪の上を歩く。

 2日目には、全校児童が10人になった地元の栃窪小学校を訪問。子どもたちが行っていた豆まきの行事に加えてもらって、一緒にゲームなどもしました。3日目には、家庭訪問。4つのグループに分かれて、別々のお宅を訪ね、雪国の暮らしや昔と今の変化、これからの村の姿などについて話を聞かせてもらいました。

 最終日の発表では、「都会ではまったく気付かなかった、水や米と自分とのつながりに気付けた。日々の暮らしが遠くの場所にもつながっているんだと感じた」「自分だけのために生きるのではなく、地域や社会で自分の役割がある、自分のためだけではない生き方に気付いた」「都会のものにあふれる豊かさとは違う、別の豊かさがあることが分った」「参加したほかの学生とここまで一生懸命に議論できた」などという感想が聞かれました。

30人余でヒノキ林の整備を実施

2015年7月25日の土曜日、都内の金融機関2社のボランティア33人のみなさんが、茨城県・阿見町での森林整備活動を実施しました。エコプラスは阿見町で07年以来、農業や林業の体験活動を支援しています。
7月25日、33人の参加者は東京駅近くに集合し、午前10時半にバスで阿見町君島地区に到着。身支度を整えて、11時過ぎから森林整備に着手しました。

対象となった森は、22年前にヒノキの苗を植えた場所。左右11列、奥行き30列近くに、高さ5m前後のヒノキが整然と並んでいます。

いずれは材木にと植えられたヒノキでしたが、親世代から引き継いだのは女性1人だけのお宅。ほとんど手入れが出来ずに、枝がびっしりと生え、そこにクズがからみついて一部はクズのツルが木全体を覆う状態となっていました。

ボランティアたちは、7人1組になって、地元のみなさんの指導のもとで、枝を払い、切った枝を引き出して森の外に積み上げる作業を続けました。

初めての枝打ち。インド出身の参加者もすぐに慣れて、みんなで300本以上の木をきれいにしました。
初めての枝打ち。インド出身の参加者もすぐに慣れて、みんなで300本以上の木をきれいにしました。

気温35度前後。猛烈な暑さと湿気で、みんな汗びっしょり。枝を切る時には木の上からヒノキの枯れ葉などが落ちてきて、ほこりまみれになります。

昼食をはさんで午後2時半ごろまで作業をし、ヒノキの林は高さ2m前後までがずっと先まで見通せる状態になりました。

現場を訪ねた地主の女性は、「私一人でどうしようもなくて手を付けられずにいました。本当に助かりました」と話していました。

作業終了間際。林の下は向こうまで見通せるようになりました。
作業終了間際。林の下は向こうまで見通せるようになりました。

参加者したみなさんからは「日ごろはずっと机に座っているだけなので、汗をかいての活動は面白い」「林の向こう側まで見通せるようになって、気持ちが良かった」などと話していました。

首都圏への農産物の供給源である阿見町でも、農林業の後継者は減っています。手入れがされていない森や竹林、耕作されないまま雑草に埋もれている農地などが数多くあります。

こうした土地を都市部の人たちが汗を流し心身をリフレッシュする場として活用することで、地域と人々の持続可能性へとつながるとエコプラスは期待しています。

水害にあった田んぼで、ボランティアが稲刈り支援。10月1-2日の2日間 に計46人が参加。

水害にあった田んぼでの作業風景。背景には山崩れの跡が見えます。
水害にあった田んぼでの作業風景。背景には山崩れの跡が見えます。

7月末の豪雨により大きな被害を受けた新潟県南魚沼市で、10月1日、2日の週末に、首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝いました。

2011年10月1日から2日にかけて、7月末に起きた新潟・福島豪雨によって土砂崩れなどの被害を受けた新潟県南魚沼市栃窪集落の田んぼで、ボランティアが手刈りで稲の収穫作業を行いました。

水害で土砂と一緒に石や木が流れ込んでしまった田んぼでは、コンバインによる刈り取りができません。そのため、稲の刈り取りは、手作業で進める必要があります。栃窪では50枚以上の田んぼが被害を受けたとの報告があり、高齢化が進む集落では、人手が不足している状況でした。

刈り取った稲は、こうして力を合わせて引っ張って運びました。
刈り取った稲は、こうして力を合わせて引っ張って運びました。

10月1日-2日の活動に集まった参加者は、エコプラスやボランティア関係のネットワークからの呼びかけで集まった首都圏の学生や社会人ら18人。1日には地元新潟の公務員チームと合わせて45名の活動となりました。

大人数となった1日目には、棚田が崩れ落ちて土砂が流れ込んだ田んぼ6枚で作業、2日目には、コンバインが入れる部分とそうでない部分がある田んぼの3枚で、地元の農家の方とともに手刈りをしました。

田んぼの持ち主からは「何十年も農家をやってきたが、こんな水害は初めて。山の上に住んでいて、水害にあうとは思わなかった。みなさんに収穫を手伝っていただいて、助かりました。本当にありがとうございました」という言葉がありました。

参加者からは、以下のようなコメントがありました。
・大雨から2カ月以上が経ち、もう平気になっているかと思っていたが、全然そうではなかった。
・自然の災いと恵みの両方を見ることができた。
・災害にも負けないコメの姿、人の姿に感動した。

稲刈りボランティアは、10月の中旬まで栃窪で展開する予定です。10月9日—10日には、東京から再びチャーターバスが出ます。参加希望の方は、TAPPO南魚沼やまとくらしの学校(tappo@ecoplus.jp、025-782-5103)までご連絡ください。

http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=999

ボランティア、水害田んぼで大活躍

大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん
大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん

7月末の豪雨で大量の土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日から首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝う活動を始めました。

2011年7月末の新潟・福島豪雨で、土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日からボランティアが加わった手刈りの稲刈り作業が始まりました。

参加したのは、エコプラスなどの呼びかけに答えた首都圏や新潟市、それに地元南魚沼市の会社員や学生、公務員など。23日には15人が、24日には10人前後が、同市樺野沢地区での活動に参加しました。

一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。
一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。

被害を受けた田んぼは、一部では50センチ近くも土砂が流れ込んで、瓦のようになっている部分もあります。稲は一度は流れに押し倒されたものの、その後再び上を向いて穂を出し、受粉して、黄色く穂を実らせています。

石や小枝があってコンバインでは刈り取ることが出来ないため、ボランティアが手で刈り進めます。余りに深く埋もれた場所では、穂先だけを刈り取る方法も試されました。

隣を流れる川が氾濫して一部が一時は濁流が渦巻いたという10アールほどのある田んぼには、新潟市からの夫婦と東京都からの男性、それに地元の2人の計5人が手伝いに入り、持ち主夫婦とあわせ計7人で、昼食をはさんで5時間余りかけて全部の稲を手刈りしました。

田んぼの持ち主は、「水害なんて無関係だと思っていた。この田んぼを私ら夫婦だけでやったら何日かかったか。本当にボランティアのみなさんには助けられました」と話していました。

水害田んぼのボランティア活動は、10月中旬まで、同市樺野沢地区と栃窪地区などで展開されます。参加希望の方は、TAPPO 南魚沼やまとくらしの学校(tappo@ecoplus.jp、025-782-5103)まで。

http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=999

現地報告の写真その1

 

雄勝町の公民館の上に乗った観光バス。ぐるぐると水流に流されてあちこち動いたあと、最後に2階建ての屋根にひっかかったそうです。
雄勝町の公民館の上に乗った観光バス。ぐるぐると水流に流されてあちこち動いたあと、最後に2階建ての屋根にひっかかったそうです。

 

政府の立派な大型自動車が並んで博覧会会場のような南三陸町のベイサイドアリーナ。しかしトイレは素掘りの仮設。
政府の立派な大型自動車が並んで博覧会会場のような南三陸町のベイサイドアリーナ。しかしトイレは素掘りの仮設。

避難所だけでは解決しない規模・・・現地報告

4月3日から6日にかけて、福島、宮城の被災地を視察し、7カ所の避難所を回りました。津波被害を受けた現地は線路まで跡形もなく吹き飛ばされており、被害の深刻さ、復興作業の大きさは想像以上です。
エコプラスも参加する「南魚沼市災害ボランティアネットワーク」の一員として、代表理事の高野孝子と大前、それに南魚沼市のボランティア日熊恵一さんの3人で、2011年4月3日から6日まで、福島から宮城の被災地を回ってきました。

エコプラスが関係するRQ市民災害ボランティアセンターと連携しての活動で、南魚沼市などからのランドセルや文具、衣類などの支援物資を運ぶとともに、現地ニーズの把握、さらに岡田元サッカー日本代表監督の支援活動の手伝いなどをしてきました。

環境教育関係の市民組織が中心になったRQ市民災害ボランティアセンターの現地本部。集積された物資をボランティアが被災地に届けています。
環境教育関係の市民組織が中心になったRQ市民災害ボランティアセンターの現地本部。集積された物資をボランティアが被災地に届けています。

宮城県登米市の旧東和町にある小学校の廃校を活用したRQの現地本部では、連日80人以上のボランティアが活躍していました。全国からの支援物資を現地のニーズにあわせて、小規模な避難所や避難所に指定されていないような小さな集落や個人宅に届ける作業が中心でした。

現地本部では、さらに前線基地を増やそうとしており、気仙沼市の唐桑地区と、石巻市河北町に前線基地を設置していました。河北町では、北上川の河口から10キロほどさかのぼった場所で堤防が決壊、流れ込んだ津波の濁流が校庭に避難していた小学生らを一気に流すなど甚大な被害が出ています。
ほかの被害地と比べ、救援・支援活動が遅れている場所で、泥出しなどの作業に連日100人前後のボランティアが加勢していました。

南三陸町各地の避難所には、いずでも数百人の人々が避難していますが、自衛隊の食料配給も1日1食程度で、あとは住民たちが支援物資などで炊き出しをしていましたが、「材料がないので今日の昼飯はすいとん」(南三陸町・平成の森公園)などという状況でした。

深い湾の奥にある雄勝町は、平地が完全に打ち砕かれています。遠くの2階建ての公民館の屋根にバスが乗っています。
深い湾の奥にある雄勝町は、平地が完全に打ち砕かれています。遠くの2階建ての公民館の屋根にバスが乗っています。

政府の手厚い支援が入っている同町のベイサイドアリーナには、各省庁のぴかぴかの自動車が並んでいましたが、便所は屋外の仮設トイレで、避難所をこのまま維持運営するだけでは、避難した人々がさらに弱ってしまうような状態でした。

RQ市民災害ボランティアセンターは、現地ボランティアとともに、東京事務所のボランティアも募集中です。

連絡先は、以下で。
(現地ボランティア)
http://www.ecotourism-center.jp/staticpages/index.php/rq_volunteer01
(東京本部の事務ボランティア)
http://www.ecotourism-center.jp/staticpages/index.php/rq_volunteer_jimukyoku