「野外教育」カテゴリーアーカイブ

寒いけど楽しい!雪国の暮らしを体験

栃窪「さいの神」と雪国暮らし体験が、2009年1月17日-18日に、新潟県南魚沼市栃窪集落で行われました。
首都圏からの参加者が、小正月の伝統行事や、縄ない、かんじき散策、雪遊び、雪ほりなどを体験しました。

 

栃窪「さいの神」と雪国暮らし体験が、2009年1月17日-18日に、新潟県南魚沼市栃窪集落で行われました。首都圏から家族や学生、会社員など11名の参加者が訪れ、雪国の冬の暮らしを体験しました。
今回は地元の10代後半〜20代前半の男性陣が企画の段階からスタッフとして加わり、冬の栃窪の魅力を引き出してくれました。

当日、集落センターのまわりでは積雪が130㎝〜160㎝ほどありました。参加者のほとんどは春から秋の休日農業講座参加者で「冬はどうなるんだろう?」と話していました。集落センターに到着し、冬の栃窪の景色を見て「なるほど、こうなるのか」と納得しながらも、雪の多さにはびっくりしていました。

17日:13時集合、小雪のち晴。小正月の伝統行事「さいの神」に準備から参加、縄ない体験
18日:9時集合、快晴。かんじき散策、雪遊び、雪ほり

【さいの神】

 「さいの神」の様子です。左で燃えているのがお飾りの塔です。この火でモチやスルメを焼いて食べると今年1年健康でいられると言われています。書き初めを燃やして、燃えた紙が高く舞い上がると字が上手になるとも言われています。
「さいの神」の様子です。左で燃えているのがお飾りの塔です。この火でモチやスルメを焼いて食べると今年1年健康でいられると言われています。書き初めを燃やして、燃えた紙が高く舞い上がると字が上手になるとも言われています。

集合してあいさつや自己紹介、諸連絡を終えると、さっそく防寒着を着込んで、地元の若者たちと「さいの神」で燃やす正月飾り集めに出発。子ども班と大人班に分かれ約1時間集落をまわり、家々を訪ねてお飾りを集めました。
お飾りは神社に持って行き、ワラやしめ縄で作られた高さ2mほどの塔にのせていきました。塔から少し離れたところでは集落の人たちがかまくら作りを始めていて、参加者も加わって一緒にかまくらの穴を掘らせてもらいました。神社に続く道の両側の雪のカベに、灯ろうも作りました。
夕食後、「さいの神」が始まりました。19時にお飾りの塔に火がつけられ、集っていた集落の人たちはスルメやモチを棒につるし、火であぶっていました。みんなで作ったかまくらの中には火鉢が置かれ、おしるこがふるまわれました。お神酒や砂糖を使わない甘酒もふるまわれていました。参加者は「栃窪はいつ来ても食べ物がおいしい!」と、楽しんでいたようでした。

【縄ない】
16時から集落センターで、集落のお年寄りから「縄ない」を教わりました。お年寄りは「米を収穫した後に残るワラで、様々な生活の道具を作り利用していた」というお話を聞かせてくれ、手元ではどんどん縄を作っていきました。参加者は興味深く話を聞いていましたが、手元のワラはなかなか縄にならず、苦戦していました。

【かんじき散策:大人班】

 かんじき散策の様子です。
かんじき散策の様子です。

散策したルートは、地元の人が集落と隣り合ったスキー場から帰ってくる際に通った道だそうで、栃窪の人でなければわからないルートでした。下がスキー場になっている山に登り、尾根に広がるパノラマを楽しみ、下り坂はお尻ですべり降りました。ウサギの足あとも見つけました。

【雪遊び:子ども班】
除雪車が雪を飛ばしてできた大きな斜面をソリですべり、その後は雪合戦をしました。雪合戦と言っても、雪を投げあっているうちに追いかけっこになり、最後は子どもが雪の上に仰向けに投げ出されていました。ふわふわの新雪の上は倒れても痛くないので、体いっぱい雪とたわむれて、楽しんでいました。神社にも行き、雪にうまった狛犬を掘り出したり、雪だるまを作ったりしました。

【雪ほり】
18日の午後からは雪掘りと屋根の雪下ろしを体験しました。最初は大人だけと言っていましたが、子どもたちも「やってみたい!」と参加しました。重たいスコップを持って、夢中で雪掘りをしていました。

参加者は、「雪国で暮らすための知恵が興味深かった」「とても寒かったけれど、雪ほりなど体を動かすことが多く、東京よりあたたかく感じた」「雪国の生活は大変かもしれないが、楽しみもあると思った」と、感想を話していました。
*地元スタッフ(五十音順)
日熊恵一さん、笛木正哉さん、笛木裕次さん、笛木隆多さん、笛木亮佑さん
*縄ない指導
笛木茂春さん

無農薬田んぼは、自然のジャングル

一年間、まったく農薬や化学肥料を使わなかったオーナー田んぼの稲株の間には、小さなクモやらイモリやらが次々と登場した。

こちらはオーナーの山田さんに稲刈り指導をする通りがかりの村人。「腰の構えが違う!」などとにぎやかな指導でした。
こちらはオーナーの山田さんに稲刈り指導をする通りがかりの村人。「腰の構えが違う!」などとにぎやかな指導でした。
目線を稲株ぎりぎりまで下げると、田んぼジャングルとでも呼べるような新しい世界が広がります。
目線を稲株ぎりぎりまで下げると、田んぼジャングルとでも呼べるような新しい世界が広がります。

 

うねから作る大根!初めてくわを持った参加者の挑戦。

教わりながら作った2本のうね。1本は、大根の種を見るのも初めての参加者が、何も教わらずにまいてみました。無事大根を収穫できるのでしょうか?…それ以前に、芽は出るのでしょうか??収穫は次回です。
2008年8月23日、新潟県南魚沼市栃窪集落で、今年度から始まった休日農業講座「山の上のかあちゃんの畑と料理」の3限目が行われました。
今にも雨が降り出しそうな曇り空、秋の気配も漂う涼しさの中、東京から30代ー40代の大人6人、4歳ー8歳の子どもたち6人、市内からも20代1人が参加し、うね作りや大根の種まき、夏野菜の収穫を体験しました。

 「どうやってまこうか?」穴を掘っては埋めまた掘って。穴に入れた種をまたとり出してみたり…おいしい大根を収穫する姿だけを思い描きながら、種をまきます。
「どうやってまこうか?」穴を掘っては埋めまた掘って。穴に入れた種をまたとり出してみたり…おいしい大根を収穫する姿だけを思い描きながら、種をまきます。

栃窪集落センターで行われた開講式では、前回も参加した人も多く、とても和やかに始まりました。
畑では、耕して平らにならされた一画が参加者を待っていました。講師の桑原祐子さんに教わりながら、6メートルほどのうねを2本作りました。端と端に棒を立て、ひもを張って目印にしながら、なんとかまっすぐにしようとがんばりました。一緒に来た子どもたちもくわをにぎってみました。
うねができると、まず1本目は何も教わらずに参加者だけで種をまきます。「何でも教わってやっていたら覚えられないから」という桑原さんの教育方針のもと、参加者は種を目の前に話し合いました。そして、うねをそれぞれに割り当てて、思い思いにまいてみることにしました。種をまく位置、土を掘る深さ、1つの穴に何個まくかなど、慎重に作業を進めていました。みんながまき終わった後、2本目のうねで桑原さんが模範解答をしました。その仕組みと知恵に思わず「なるほどー!」と納得する参加者でした。
種まきが終わってから、同じ畑で育ったナスとカボチャを収穫させてもらい、集落センターに戻りました。

 「目を皿にして」ごちそうを見比べます。「どれを食べようかな〜!?」
「目を皿にして」ごちそうを見比べます。「どれを食べようかな〜!?」

この後は調理実習を行う予定でしたが、時間の都合で野菜から調理まで桑原さん作となりました。ズラリと並んだ計18品のおかずの原材料のうち、自家製でないのは肉、豆腐、牛乳、卵、みそ以外の調味料、だけだそうです。今回は集落の笛木くらさん作のおかずも並び、参加者は目移りしながらおかずを盛りつけていました。

午後は、午前とは別の場所にある桑原さんの畑へ歩いて行き、ピーマンやナス、トウモロコシなどの収穫を体験しました。野菜は桑原さんの家の車庫に集め、みんなで山分けさせてもらいました。前の日に祐子さんが収穫したユウガオやメロン(甘いウリ)も追加され、新鮮な有機栽培の野菜で袋いっぱいのおみやげができました。

[参加者のふりかえりコメントから]
・実際に土にさわって畑の作業をして、食べ物が長い間手をかけられて自分たちの食卓まで来ているんだということがわかった。(30代女性/東京/2回目)
・今日まいた種を今度収穫できるのも楽しみ。食物に対する考え方が変わってきたと感じた。(40代女性/東京/初参加)
・何と言ってもやっぱりお昼がおいしかった。こういう地域の料理は、東京にいたら到底味わえない。(40代男性/東京/3回目)

次回はいよいよ最終回!4限11月1日(土)ー2日(日)です。
1日目…1限で植えた大豆や今回種まきした大根の収穫、笹団子やみそ豆作り。
2日目…栃窪集落の大収穫祭に参加。

お申し込みをお待ちしています。

畑見学と栃窪ランチ第2弾

今育っている野菜について実際に見たり食べたりしながら教わり、その後畑の脇でお昼ごはんをいただきました。普段は野菜をあまり食べない子がキュウリ漬けを1本まるごと食べ、その後畑の大根を…

 「カボチャの葉のクキも食べられる」実際にみんなで食べてみました。お味もなかなか。
「カボチャの葉のクキも食べられる」実際にみんなで食べてみました。お味もなかなか。

畑に到着すると、すぐ手前のうねから大きな葉をつけたカボチャのツルが四方八方に広がっていました。みんな早速そのツルの所へ見に集ります。花もついていて、雄花と雌花があることや、虫が受粉を手伝ってくれること、近くにナマス瓜を植えるとカボチャが負けてしまうこと、いいカボチャはオシリがしまっていることなど教わりました。

そして時間は12時、おまちかねの昼食です。今回は畑でいただきました。
・笹の葉で巻いた塩むすび
・キュウリと青じその冷や汁
・キュウリまるごとの漬け物
・トマト・タマネギ・ズッキーニがどっさりのせてある鶏唐揚げの南蛮漬け
・ミズ(山菜)のおそうざい2品
・大根の梅しそ漬け
・プラム(これも別の畑から)
・蒸しプリン
今回も大好評!参加者のふりかえりコメントで「どの野菜も味が濃い」「普段はそんなに野菜を食べない子どもがパクパク食べてビックリした」などの感想が聞かれました。

 塩むすびと、どっさり野菜がのった鶏の南蛮漬け。お米はもちろん、野菜全部が祐子さん作。
塩むすびと、どっさり野菜がのった鶏の南蛮漬け。お米はもちろん、野菜全部が祐子さん作。

その野菜をパクパク食べてくれた子は、その後畑で思わず大根を引き抜いてしまいました。祐子さんは「どうせならもっと大きいのを抜こう!」と、大きな大根を一緒に引っこ抜きました。そしてとても誇らしげにVサインで写真を撮りました。
でもその後、彼は大根が気になって気になって、帰るときも大根を気にしていました。
もしかして彼の野菜に対する気持ちが、少し変わったかもしれません。

元気なへき地ネットゲスト紹介

7月24−25日元気なへき地ネット第1回大会
ゲスト紹介です。
[ゲスト・参加団体紹介]
〈総合コメンテーター〉
江口歩さん
新潟のお笑い集団NAMARA(ナマラ)の代表。NAMARAは、1997年に立ち上げられた全国初の地方お笑い集団。小中学校の総合学習、介護福祉の研修会、新潟市長選候補とのトークショーなど、お笑いならではの発想力で様々なジャンルと融合を仕掛け、全国的にも珍しい活動が注目を浴びている。
http://www.namara.tv/index.html
〈参加団体〉
◎きらり水源村
熊本県菊池市で、菊池東中学校跡地を活用し「きくちふるさと水源交流館」を2004年より運営する。地域に残る伝統文化や生活技術、豊かな森と水に囲まれた自然を「子どもや孫、そのまた孫に!」が合い言葉。かつての学び舎を拠点とした「地域づくり」「グリーンツーリズム推進」「次代の担い手づくり」を通じて、持続可能な社会モデルを広く世界に発信する。
http://www.suigen.org/index.html

◎霧多布湿原トラスト
北海道厚岸郡浜中町、北海道東部の太平洋に面して広がる霧多布(きりたっぷ)湿原を見下ろす高台にあるセンターを拠点に、湿原保全活動を展開。「2007年環境省エコツーリズム大賞」で大賞を受賞する。エコツアーや地域貢献活動との連携により、トラスト活動がエコツーリズムとしてより深く、より大きく展開されている点が評価されている。
http://www.kiritappu.or.jp/

◎くりこま高原自然学校
宮城県栗原市栗駒で、1995年から平和で豊かな暮らしを創る人づくりと社会づくりを目的に、山村留学やキャンプ、WWOOFなどを展開。6月14日の岩手宮城内陸地震で被災し、退去した町で分校を開始。現在は、被災地復興のための総合的な機関「くりこま耕英復興プロジェクト運営委員会(仮称)」 の設立に向けて中心的に動いている。
http://kurikomans.com/

◎グリーンウッド自然体験教育センター
長野県下伊那郡泰阜(やすおか)村で、山村留学 暮らしの学校「だいだらぼっち」を20年前から運営する。卒業生は300人以上に達する。教育を目的とした山村留学を展開。単に自然環境を学ぶだけにとどまらず、暮らしと関わるすべての環境問題をテーマにした「環境教育」を推進する。
http://greenwood.or.jp/index.htm

◎たかはた共生塾
山形県高畠町を拠点に有機農業に関心のある人を中心とした学習集団。「共に学び、共に育つ」がモットー。1973年から有機農業運動に取り組み、今では全国に有機農業のメッカとして知られている。1992年には「まほろばの里農学校」を開校。有機農業への研修生や修学旅行生、大学のゼミ生などを、年間1000人以上引き受けている。
http://www.takahata.or.jp/user/sansan/syukai.html

◎TAPPO 南魚沼やまとくらしの学校
新潟県南魚沼市栃窪集落にて、地域とNPO法人エコプラスの共同プロジェクトとして2007年設立。TAPPO(たっぽ)は、南魚沼の方言で「田んぼ」を意味することに由来する。地元のお年寄りから子どもたちまでが指導者となり、外部の人々とともに学び合う「地域まるごと自然学校」を目指す。
http://tappo.ecoplus.jp/

◎やんばるエコツーリズム研究所
沖縄県国頭村安田(くにがみそんあだ)集落を拠点にエコツーリズムを展開。エコツーリズムは、環境教育の内容を含んで成り立つ観光であり、市民に対する環境教育がバックボーンに無ければ成立しないと考える。お客様へ自然の素晴らしさを伝えると共に自然環境の保護・保全が地域活性化につながることを確信し、活動を続ける。
http://www.ocvb.or.jp/card/ja/0011040100.html

梅雨入りしました

ようやく曇り空。稲も元気です。
ようやく曇り空。稲も元気です。

新潟地方はようやく6月19日に入梅。平年より9日遅れだそうです。
ようやく新潟地方も梅雨になり、時折雨がぱらつくようになりました。
が、まだまだため池はからっぽです。本格的な雨が欲しいと農家のみんなは天を仰いでいます。

あまり雨がないので、せっかく代かきした田んぼもまた固まってしまい、再度の代かきができないまま、田植えがずるずると後回しになっている田んぼもあります。

稲の苗は、田植えした時に比べて、茎がいくつも出てきて水面がかなり見えなくなりつつあります。

あぜにはきれいな花も咲いています。
あぜにはきれいな花も咲いています。

港区の自然と生き物展開催中

537-l 港区立エコプラザ環境学習パネル展「港区の自然と生き物展」が8月16日から始まりました。
オフィスビルやマンションが立ち並ぶ港区にも、少し目を向けると自然がそこかしこに残されています。このパネル展では、お台場の干潟、元麻布のビオトープ、自然教育園、六本木ヒルズ屋上庭園など、あまり知られていない港区の自然環境と、そこに生きる生き物たちの姿を写真でとらえ、その生態を紹介しています。

538-lオオシオカラトンボなどの昆虫、シジュウカラなどの鳥類、アカエイなどの魚介類など30点あまりを展示し、それぞれの生き物が生息できる条件や環境の変化による影響なども解説しています。

身近な自然を知る事から、環境問題について考えてみてはいかがでしょうか。

パネル展は9月8日まで開催されています.
(日月祝休館。午前9時〜午後5時まで)

「地域に根ざした教育」レイ・バーンハートさん講演内容2

アラスカ先住民教育:相互関係へのステップ

歴史的にアラスカの地方の学校は、コミュニティに伝わる独特な知識や技能にはほとんど配慮しない、自分たちの住む土地とは異質の外から取り入れたカリキュラムを使っています。
先住民族のコミュニティに小学校ができたのは20世紀半ばのことです。地方のコミュニティに中学校ができたのはほんの30年前のことです。
1975年以前は、村の子どもたちが高等教育を受けるには住み慣れた土地を離れて寄宿舎に入らなければなりませんでした。そこで私たちは、学校とコミュニティの間でアイデア、知識、技能を交換しようと対話をはじめました。学校もコミュニティも共に生徒たちに対する価値の知識を持っているからです。

地域との対話を始めるにあたって大きな助けになったのは、アナヤカ・オスカー・カワグリーという人です。彼は博士論文で、自らの出身であるアラスカ南西部のユピック族の世界感、ものを理解するやり方、教育的な実践について詳しく述べています。

カワグリー博士は論文で、自然界と精神世界がユピックの存在を作り上げていると言っています。自然界や精神世界と人とのダイナミックな関係がユピックの世界観を形成していると言っています。

博士は、人間と自然界や精神世界との相互依存を考慮せずして人間世界の役割を考えることはできないと言っています。つまり、人が周囲の世界とどう交わるか理解せずに、科学や歴史を教えることはできないと言っているのです。

これは、二つのレベルでどのように教育システムを変えていったのか示しています。

まず、私たちは先住民族の長老たちに、どのようにして地域の知識体系を学校のカリキュラム向上のために活用できるのかを尋ねました。この作業がこの図の上の方です。

当時すでに確立されていた州のカリキュラムの中に地域社会に伝わる世界観、地域の事柄を知る方法をどう組み込むか考えました。そしてこの二つの知識の流れを統合して、それぞれが補いあい、生徒たちの学習体験がより広く、深まるようにしました。

長老たちと一緒に作業を進めていく中で一つ明らかになったことがあります。それは、地域文化の目に見える部分をカリキュラムに入れるだけでは不十分だということです。学校では、ダンス、食べもの、民話、生活手段などを教えます。それらは氷山の一角にすぎないということです。もっと深いあまり目につきにくい知識も、コミュニティでの暮らしには大切なのです。

このように形のない地域の知識、例えば、気象予報、ナビゲーションのスキル、伝統医学、物を測る技術、言葉、技術やサバイバルスキル、といったものを比較研究することで、生徒たちは地域の多くの知識を得られるのです。

地元の知識を文章にまとめる作業では、長老たちが非常に重要な役割を果たしました。例えば、アサバスカンの長老であるハワード・ルークが書いた本には、アラスカ内陸部に住む人にとって伝統的に重要な場所を記した地図が載っています。これらの場所はゴールドラッシュによってタナナバレーに新しい生活様式がもたらされるずっと以前の時代の場所です。

アラスカのそれぞれの文化地域に住む長老たちもそれぞれの教育制度に貢献してくれました。自分たちのアイデンティティや周りの世界との関わり方を象徴するような価値観をリストアップする作業に協力してくれました。

学校や、地域の人たちにとって、こういった価値観は、若者たちを将来の地域のリーダーや文化の担い手として導いていく際に非常に重要な役割を果たします。

これは、アラスカ南西部のユピックの人たちの価値観を示したものです。ユピック語と英語両方の翻訳で書いてあります。

こうしてアラスカの先住民族は、子どもたちに教育的、文化的な幸福を与えられる学校運営をいかにできるかアイディアを出し始めました。従来の学校のカリキュラムは、アラスカ州政府教育局が作った学習基準によって定められたので、これだけでは先住民族の生徒たちの総合的な教育には不十分であるということが明らかになってきました。州政府の制度の不備を是正するために先住民族の人は、生徒が家族や地域社会に貢献するには何を学ぶ必要があるのかを総合的にまとめる作業をスタートさせました。この作業は2年間かかっています。1998年に、州政府の学校基準に加えて新しい基準を策定しました。『文化的に責任のある学校のためのアラスカ基準』というものです。

北村必勝さんをしのぶ会が開かれました

北村さんをしのぶ会で、奥さんの克子さん(奥中央)らご家族を前に話すエコプラスの高野孝子代表理事。
北村さんをしのぶ会で、奥さんの克子さん(奥中央)らご家族を前に話すエコプラスの高野孝子代表理事。

損保ジャパン(旧安田火災)で企業の立場から環境問題に積極的に取り組まれながら今年8月に亡くなった北村必勝さんをしのぶ会が11月9日夕、東京・新宿で開かれました。

旧安田火災で初代の地球環境室長を務め、経団連自然保護基金の設立など、一企業に止まらず、日本の経済界上げての環境活動をリードした北村必勝さんをしのぶ会が、2006年11月9日午後6時半から、東京・新宿の高層ビルの一角で開かれました。

集まった人々は、損保ジャパン関係者のみならず政治、行政、企業、市民など多くの分野にまたがり北村さんの活動範囲の広さを示していました。
集まった人々は、損保ジャパン関係者のみならず政治、行政、企業、市民など多くの分野にまたがり北村さんの活動範囲の広さを示していました。

北村さんとともに1990年代の環境運動をリードした企業関係者や大学教員、市民団体の関係者ら90人が集まりました。北村さんが最後に最も力を注がれた人材育成の仕事である「CSOラーニング制度」で、各市民団体でインターンを経験した元学生さんらも多数集まりました。

経済界ではほとんど環境への取り組みが希薄だった時期から、環境に関する市民講座を開いたり、環境報告書を発行する動きを広めたり、また企業に環境担当部署を設置する動きを励まし応援した北村さんの活動が、集まったみなさんから次々と披瀝され、その情熱的なお仕事ぶりを改めて噛みしめる舞台となりました。

北村さんは、エコプラスの前身のワールドスクールが活動を始めた1993年から運営委員としてプロジェクトを強く応援してくださり、安田火災と損保ジャパンで役員になられた後も、顧問として側面から支援していただきました。

損保ジャパンのCSOラーニング生も毎年継続してエコプラスで活躍をしてもらっており、北村スピリッツはエコプラスのあらゆる場面に息づいています。

環境アート写真展「肖像」(終了しました)

大きな和紙に引き伸ばした「手」が、外からの風でゆっくり揺れる。
大きな和紙に引き伸ばした「手」が、外からの風でゆっくり揺れる。

自然と人の関係に焦点をあてて活動する写真家中竹孝行さんの写真展「肖像」が11月18日から、エコプラザで始まりました。11月9日までの予定。10月21日には中竹さんのトークもあります。
写真家中竹孝行さんの、「肖像」展が18日から始まりました。巨大な和紙に引き伸ばした写真が何枚もつり下がった様は、まことに壮観です。

中竹さんのこの一連の作品は、今年6月にイタリアのミラノで個展として展示されたばかりです。現地では高い評判を得た作品群です。染め物師、酪農家、米作農家。日本の自然の中で、それぞれの技を磨き、暮らしを支えてきた「手」には、顔以上の表情があります。

10月21日には中竹さん自身が作品の前で解説したり、別室でこれまでの写真との関わりを話したりする。
10月21日には中竹さん自身が作品の前で解説したり、別室でこれまでの写真との関わりを話したりする。

同時に、原宿で撮影した若者たちの手は、まだまだ白くてきれいで、これからどんな手になっていくのだろかと思わせられます。手の動きひとつひとつが重なっていく人生は、また手にそれぞれの表情を重ねていくのでしょう。

手が向き合ってきたその時代と場所の環境。遠くに日本各地の光景が見えるようです。