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インターンインタビュー 鈴木泰浩さん

~人間の五感は馬鹿に出来ない~

プロフィール 栃木県出身。東京の大学を卒業後、約3年間の会社員を経て公認会計士の資格を取得、現在は鈴木泰浩公認会計士・税理士事務所の代表。中学1年生の1992年にエコプラス主催の第一回のヤップ島プログラムに参加した。現在も正会員として総会に参加してくださるなど、エコプラスとの関係は長い。

「ヤップでの思い出を教えてください」

 習っていた英会話教室のつてで高野さんとお会いする機会があり、ヤップ島プログラムに参加しました。第1回目は男性陣が中学生とか小学生で、女性陣は高校生が中心でした。初めての海外だったのですが、地元の小学校に寝泊まりして、自分たちで食べ物や飲み物を自給自足するキャンプ生活でした。あまり適応力もなかったんで結構大変だったなという記憶があります。みんなで計画的に飲んでいたオレンジジュースを男子組がこっそり一気に飲んでしまう事件があったのは、はっきりと覚えています。

1992年最初のヤップ島プログラム。小学生から高校生までが参加。鈴木さんは前列左端の黄色い服装。

 当時ヤップがあるミクロネシア連邦はアメリカの援助を受けていく中で、様々なものが変わり始めている過渡期だったんですよね。現地でいろいろお話を聞いたり、ライフスタイルなどを目の当たりにして、こういう風に今後変わっていくんだろうなというのを感じることができました。実はヤップは太平洋戦争に日本が占領していたところでもあったので、日本語がわかる方も何人かいらっしゃいました。今はどうなっているのか分からないですが、観光地されていない自然がとても綺麗でした。

 しかし、当時は中学1年生だったので、まだ自分の中で自我みたいなものもなかったですし、幼かったので、自分の中ではすぐには消化できなかったです。キャンプ生活をやって「日本に帰ってきて便利だなあ」、みたいな子供の感想しか感じることができなかったのが正直なところです。ただ、便利な世界とそうでない世界があることは感じることができました。具体的なライフスタイルが変わったかと言われると、ただ普通の田舎の中学生に戻ったという感じですが。

「今のお仕事はどんなことをされているのですか」

 公認会計士は、まず1つの仕事としては、会計監査の仕事があります。
 上場している会社では、投資家が株の売り買いをするわけなのですが、投資家は会社の財務諸表の成績を見て投資の売買を判断します。要するにその財務諸表というものが重要で、それが正しくないと、いろいろなところに波及していくわけですよね。
 倒産しそうな会社が今安全ですよ、みたいな感じで財務諸表に手を加えることをして、それを信じて投資家が株を買ったり銀行が融資したりしたら問題になるので、その財務諸表が正しいかどうかというのを監査証明する、というのが会計士の重要な仕事としてあります。

 会計士になると監査法人という会計監査をメインにする組織に入って仕事をするんですけど、長年監査法人に居続ける方もいらっしゃる一方で、私みたいに独立して会社の経理や会計などを手伝ったり、上場を目指す会社さんのために経理体制を整えたり、内部統制の仕組みを作ったりといった仕事などがあります。要は色々ありますね。

「会計士を目指すことになったきっかけを教えてください」

 大学時代は別に会計士の勉強はしてなくて、大学の社会学部で社会学を勉強していました。これになりたいというのが特にない中で就職活動をして、最初NTTドコモに行ったんですよね。そこで3年間くらい働いていたんですけど、時間的な余裕も少しあったんで簿記の勉強をやってみようかなと思ったんです。簿記の2級から始まって、簿記の1級までとったんですけど、これがしっくりきたというかすごく面白いなっていうのを感じました。

 なので、会社のそういう部署に行こうか迷ったんですけど、せっかくならもうちょっと上のステップを目指そうかなって思って、会計士を目指すことになりました。2年間無職になって、そこで勉強して、会計士の資格をとって、という感じです。結構人生回り道した感じですね。全然ストレートには行ってないです。

「ヤップの経験は今に活かされていますか?」

 仕事には直接影響はないですかね。
 けど仕事をやっていて思うのですが、現場に行くっていうのはすごく重要なことだと実感します。ここ数年のコロナ禍の影響で、リモートで仕事が完結することができるようになったんですよね。Zoomの打ち合わせで完結するような仕事も増えました。
 でも一方で、やはり重要なポイントではお客さんの顔を見て話さないといけないなと思います。
 やはり人間の五感というのは馬鹿に出来なくて、実際に見ることでしか得られない情報というものはたくさんあると思います。

 たとえば工場の衛生状態や管理状況、作っているものの質感や従業員の雰囲気など、色んな情報が得られるわけです。
 それでヤップに行って思ったことは、当時中学生のときは消化できなかったという話をしたと思うんですけど、それでもやはりものすごい情報を感じている訳ですね。記憶から無くなっている部分はありますが、感じたものは強烈な体験として残っています。
 日本の田舎で普通に生活するだけでは味わえないものを体験したわけじゃないですか。だから人生にプラスになるかどうかわからないけど、長い目で見ると何らかの影響を与える物もあるというような、まあつまり一次情報を得ることの重要性ですかね。そういうものを感じました。

「エコプラスに共感できることは?」

 体験を重視しているところですかね。継続して体験型のプログラムを続けるというのは色々な方々のご協力が必要でとても大変なことだと思います。ヤップ島に関しても良好な関係性がなければ、そういうプログラムって続かないと思いますので、高野さん大前さんがこうして続けてらっしゃるのは素晴らしいことだと思います。

 ヤップでは、すごく良い経験をさせてもらったなと。人間としての幅じゃないですけど、それが広がる一部分になったのかなというのを感じていて、若い方々がエコプラスでそういう経験をしていただきたいという思いがありますので、今でもエコプラスに寄付をしています。あとは、以前エコプラスに関わっていた方で、その活動に共感して寄付をしたいっていうのは結構いらっしゃると思うので、そういう方々が寄付しやすいような仕組みを作っていくとエコプラスの活動を多くの人に知っていただくきっかけになるのではないでしょうか。

「若者に向けてのメッセージをお願いします」

 今の若い方は皆さん優秀だなって思います。今の学生さんはちゃんと勉強しているっていうイメージがあるので、とくにメッセージというよりかは一緒に頑張りましょうって感じですね(笑)。私の話をすると、公認会計士する前にドコモで、3年間働いたのは、結果としては良かった、悪かったの両方ですかね。周りの人も新卒で就職して何年かは働いた方がいいという考え方の人も多く、社会に出てみないとわからないこともあるなと思い新卒で就職をしました。けれど、思うのは、やはり周りからすれば、有利不利っていう話に傾きがちなんですけど、長い目で見たら、自分がこうやりたいっていうその自分の気持ちを重視して選択したら、それがその世間的に見て有利不利かっていうのはそんなに大した話じゃないと思うんです。だから自分の中でちゃんと筋を通して、本当にやりたいことをやるのが一番いいと思います。

【インタビューを終えて思ったこと】

 30年前のヤップの話を当時中学生だった視点から語っていただき、今のヤップとの違いを知る面白い機会になりました。また、公認会計士に至るまでも紆余曲折があったことを知り、今有利かどうかは気にせず、自分の中で筋を通すのが一番という言葉がとても印象に残りました。私も今後色々選択に迫られることが多くなると思いますが、この言葉を胸にして頑張ろうと思いました。

聞き手:中山 裕夢

インターンインタビュー 小松洋一さん

~豊かさとは気持ちのやりとり~

プロフィール 愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶ、しまなみ海道のちょうど真ん中に位置する愛媛県大三島でパン屋「まるまど」を営まれています。 

「エコプラスとの出会いは?」

 僕がエコプラスとの関わりをもったのは、大学生のとき環境問題に取り組むNPO法人にインターン活動をおこなうCSOラーニング制度のイベントのインタビューを通してでした。その際、インタビュー受けてくださったのが大前さんで、そこからエコプラスの活動に興味をもち、企画終了後はエコプラスがおこなっていた愛知万博(*2005年開催)のスタッフとして活動させていただきました。その活動で、日本で育ち日本しか見ていない僕にとっては、ちょっとした海外の人のありかたや文化がとても刺激になって、それで海外に行ってみたいなということを強く思いました。このエコプラスが開催していた愛知万博での異文化交流がきっかけで、その後の僕のカナダに留学することや、エジンバラ大学で学ぶことなどその先の展開へのきっかけとなりました。 

愛知万博の地球市民村にエコプラスが出展、アラスカの少数民族の子どもたちを招くなどした1カ月、エコプラスのブースの運営にあたってもらいました。そのアラスカの子どもたちと。前列左から2人目が小松さん

「どんな留学をされたのですか?」

 愛知万博での経験も影響して、海外で生活をしてみたいという気持ちが強くなり、カナダへ「WWOOF」という制度を利用して、オーガニックファームに農場体験に行きました。農作業を手伝う代わりに寝る場所と、ご飯を提供していただけるもので有機農業を営む農業のお手伝いをおこなうものです。
 当時、僕は全く英語が喋れず、現地で仲良くしてくれた方には僕に初めて会ったとき、僕が「Yes,No,Wow」しか言えなかったよねって言われるくらい、英語は全然できなかったんです。
 海外での生活を通して、英語を話す、学ぶということが、受験するためのツールであるとか、良い点数や良い成績を取って自分のアイデンティティになるとかそういったものではなく、私が生き残るために、目の前にいる人とコミュニケーションをとるためのツールである。ということを身に染みて感じました。そのことに気が付いてから英語の勉強の仕方や本能的に英語を身につけたいと感じ、とんでもなく英語力が身に付きました。 

「エジンバラ大学に留学をしたきっかけは?」 

 大学卒業後、世界をもっと見たいなと思っていたので就職の道は選びませんでした。大学では里山の保全活動や、自分たちで耕作放棄された田んぼを、学生の手で再興しようという環境団体を大学1年ときに立ち上げて、4年間そういう取り組みをしていたので、農業や食とかに関心がどんどん上がっていったんです。
 その中で、ヨーロッパの共通農業政策に興味をもちました。共通農業政策は、生産性の向上や農家の収入と生活水準の保障、消費者への適切な価格での農産物供給を目的に行っているものです。その共通農業政策が、どれだけ経済的な効果や雇用を生んでいるのかについて一定期間すごく興味があったので、そんな勉強ができる大学の一つとして、エジンバラ大学に出願をしました。
 推薦状は高野さんにも書いていただいて、エジンバラ大学は早々に合格をいただいたので、それで高野さんとの繋がりもあるし、なんかすごい面白そうだね、行ってみたいなと思ったのでエジンバラ大学に決めたって感じでした。

「エジンバラ大学を卒業後は?」

 帰国して、外資系のマーケティング会社に務めました。子供が生まれることをきっかけに退職して、地域おこし協力隊での制度を利用して、愛媛県今治市大三島に移住しました。大三島に住んでみると樹齢2600年の大樹を目の前にしたときの自然の偉大さ、人の豊かさ、食べ物の美味しさなど発見の連続でした。そんな中でこの島にしかない食べ物や風土を生かしたものを使って地域活性化をしたいと考え、島の特産品みかんを使ったパンを作ることを始めました。

「どんなパンを作っているのですか?」

 大三島では、温州みかんをはじめとした愛媛県のオリジナル品種である「紅マドンナ」「甘平」など約40種類もの柑橘類が栽培されています。そんな大三島の特産品で、みかん酵母のパンを作りました。みかん以外でもパンを作る材料は、地元大三島産や有機栽培された素材にこだわっています。そんなお店「まるまど」のパンを通して、大三島の恵みを堪能してもらいたいなと思っています。大三島の豊かな食材で、その時一番美味しい旬の味わいや、その大三島でしか食べられないものが、地域の人や、旅をする人にとって価値あるものになると信じています。 

 「まるまど」の建物、内装は地元の職人さんにお願いして、地域の方が観葉植物を持って来てくださるなど、地域の方の助けがあって、完成しました。なので「まるまど」は、僕だけではなく地域の方と一緒に作り上げた空間ですね。僕の目指していたものは、地域に根ざしたパン屋、地域の人たちの関係性の中で成立するものだったので。やっぱり、自分のエゴだけで作り上げた空間には人は集まらないから、いろんな人の思いがあるからこそ、居心地の良い空間になったのかなと思っています。 

「大三島での暮らしは?」 

 僕が思う大三島での暮らしの豊かさは、地域の人との温かい気持ちのやり取りですかね。大三島の主産業は農業なので、農家さんや家庭菜園で野菜や食べ物を育てる人も多いです。
 そんな地域の方々が育てた野菜や、柑橘の時期にはみかんをたくさんくださったり、東京で買えば一万円以上しそうな大きなアワビをくださったり。利益や効率で何事もとらえるのではなく、素直に相手に喜んでほしいからあげる。そこにある気持ちのやりとりに豊かさを感じますね。自分だけが豊かに暮らすというよりも、自分と関係する人たちを含めて豊かに暮らす。そんな生活が根付いています。

 だから大三島の暮らしは、都会的な暮らしとはちょっとあり方が違うんですよね。どこかの組織に属して、働いて、お給料もらうのがサラリーマンじゃないですか。そのもらったお給料で、いろんなサービスを受けて、暮らしを豊かにするみたいなのが都市的な暮らしだと思うのだけど、地方だとやっぱり収入も少ないので、暮らしを豊かにするために、お金をいっぱい稼ぐことをゴールとするよりも、その地域の中で、何か助け合って暮らす風土が息づいていて、そんな暮らしの在り方が大三島に住んでいて一番豊かだなと感じます。
 地域の人とのその関係性に豊かさを感じるようになって、経済的な豊かさが必ずしも豊かな生活ではないことに気づかされました。

「エコプラスの活動で共感できることは?」

 机上で学ぶということではなく実際に現地に足を運んで、自分の五感で体感していることですかね。体験を通して、自分が五感を通して感じたことに嘘はないというか、自分の原体験ほど根拠のあるものはないと思います。 今僕が大三島でのパン屋を営んでいるのも、エコプラスの体験の中で自分にとって豊かさって一体何なんだろうって、誰かに教えられたものとかではなくて、自分自身がちゃんと内側から共感して、これを自分の生き方にしたい、それを実現することで僕らの周りにいる人たちも暮らしが豊かになる、みたいなそういう感覚のベースにはやっぱり、エコプラスの活動に参加させてもらった体験があるのではないかと思います。

「若者に向けてのメッセージをお願いします」 

 迷ったらどんなことでも積極的に経験してください。
 これはエコプラスでの活動で大切にしていることとも重なりますが、たくさん体験して、その行動に移していく中で、様々な世代や立場、文化の違いも含めて人に会うっていうのも、すごく大事なことだと思います。やっぱり面白い人の周りに面白い人たちが集まってるから、そういう方々のエネルギーとか行動力に巻き込まれて自分の思ってもみなかった良い方向へと導かれていくはずですよ。
 そして学生の時間は、責任が自分の中に完結する貴重な時間です。自分の中にある違和感や素直な声をきいて自分の本質で、生きることを大切にしてください。そうすることで、自分自身があるべき方向へと力が働いていきます。

【Z世代の私だからいいなと思ったこと】

 その地域の空気、環境のなかで育った食材をいただけることの尊さや、その地域の人たちと関わることで得られる豊かさが、何より羨ましいと思いました。自分がその地域で生きている証を、その地域の方との交流から感じる。これは私の住んでいる東京での暮らしにはないものなので 。また、都会に住んでいるとコンビニエンスストアで売られているものが、物価高で高騰したり、社会情勢にどれだけ影響しているかを日々感じます。しかし、大三島での暮らしのように、食べ物を地域の中で作り、助け合っていく文化は、本来人間があるべき暮らしであり、ほかの国からも影響を受けないのではないかと感じます。そしておすそ分けの文化も根付いているからこそ、食品ロスも減らすことができる循環的な暮らしに感動しました。

【小松さんのご厚意で「まるまど」のパンを送っていただきました】

 みかん酵母を使用したカンパーニュを初めとする、島の食材をふんだんに使った菓子パン・惣菜パン、味のバリエーション豊富なベーグルなど、どのパンもおいしかったです。
 特に感動したのはいちじくとくるみのパンでした。カンパーニュというと固く、パサついているイメージでしたが、歯切れのよいちょうど良い柔らかさでしっとりとしたカンパーニュは初めてでした。
 また意外な組み合わせのパンが多く、どんな味なのかわくわくしながら楽しめるパンが多かったです。それも大三島の食材でつくる「まるまど」だからできるパンなのでしょうか。
 東京にいながら大三島の食材をいただけている喜びを、ひしひしと感じました。ありがとうございました。 

聞き手:津田 萌香

インターンインタビュー 千場朗さん

~ヤップに留学!?~

プロフィール 早稲田大学時代に高野代表理事の「世界は仕事場」という授業の履修をきっかけに、2014年夏にヤップ島を訪問。その後ボランティアとして2016年夏からヤップに長期滞在し、タミル地区自然保護基金(TRCT)と協力して、さまざま自然保全活動に従事した。卒業後はANA Cargo社に就職し営業部門で活躍中。

「ヤップに行ったきっかけはなんですか?」

 当時、高野先生が、早稲田大学で短期留学プログラムの1つとしてミクロネシアにあるヤップ島を設定していて、大体1週間くらいだったと思うんですけど、興味ある人は是非って感じでプレゼンをして募集をかけていたので参加をしました。元々色んな国の文化について興味があったのと、ミクロネシアなんて社会人になってから行く機会もないだろうと思っていたので、とても楽しみだったことを覚えています。エコプラスという団体は後付けで知った感じですね。

「最初にヤップに行ったときの印象は?」

 日本とは文化や環境が全く違って、最初は異世界に来たみたいな感じだったのですが、実はミクロネシアは太平洋戦争のときに日本が占領していた国だったこともあって、高齢者の中には日本語を話せる人がいたりだとか、日本語がそのままヤップ語の中に取り込まれていたりしているなど日本と関わりが深いということを知って、すごく魅力にとりつかれましたね。ホームステイの体験もさせてもらったんですけど、若い人は英語を話せるけど高齢者の方は話せなかったりして、コミュニケーションが100%は通じないことが当たり前の中で、日本から来た、見ず知らずの若造に丁寧に色々なことを教えてくれたりとかすごく優しさを感じたので、滞在しているうちに過ごしやすいなっていうか、もっといたいなと思いました。

「なぜその後も休学してヤップに行かれたのでしょうか」

 初めてヤップに行ったとき、もう1回いきたいなと思いながら帰ってきて、その後大学主催のプログラムも2回目があったので、そこにオブザーバーというか、経験者として同行するようなチャンスも高野先生からいただけたりとか、エコプラスのヤップ島プログラム参加をされていらっしゃる人とかにも、交流する機会をいただいたりとか、だんだんヤップの「沼」にはまっていきました。
 そんな矢先、大前さんと高野先生が主導されていたJICAの草の根事業についての話を頂いて、ヤップに常駐する日本人の窓口を募集しているみたいなそんな話で。
 僕自身も大学生活の中で、休学する形でもいいから長い期間留学をしたいと思っていたんですけど、たまたま同じタイミングでJICAの話をいただいたので、ヤップにも行けるし高野先生と一緒にプロジェクトできるというのもすごく魅力を感じたのと、あとヤップに行くっていうのは普通の留学ではないじゃないですか(笑)。
 アメリカとかに留学に行っても結局現地で日本人とつるんで英語力はあんまり伸びなかった人たちの話とかも結構聞いていたので。なんかそういうものを色々総合して考えると、やはり何か、人生の中でこれをやったんだって将来自信を持って言えることをやりたいという考えになり、結局11ヶ月間ですね、ヤップに行くということに決めました。

「現地では環境保全団体にも参加されていたそうですが」

 そうですね。エコプラスが主導でやっていたJICAの草の根事業を現地で管理する団体が僕の滞在したタミル地区にあるTRCTという団体なんですけど、そこでは草の根事業もやりながら、かつ自分たちも環境保全活動を自主的にやっていく。例えばビーチのゴミ拾い活動だったり、シャコ貝の保全活動だったりなどですね。小さいことから、ある程度お金をかけた規模が大きい活動まで幅広くやっていて、草の根事業のJICAのプロジェクトをやる傍らそっちの方もやらせてもらっていたという感じですね。

「千場さんが行った頃のヤップの環境はどんな感じでしたか?」

エコプラスの長年の活動があってこそだと思うのですが、僕が行った頃には政府が主導で、日本の援助を受けつつゴミの埋め立て場を作っていたりだとか、ゴミの分別を謳ったポスターがオフィスに貼ってあったりとかして、啓発は結構されているなといった印象でした。
 実際に村に足を踏み入れて各家々を回ったりすると、穴掘ってビンとか缶とかプラスチックを全部一緒に捨てちゃうみたいなことがありました。若い人だとゴミをポイ捨てしたり、タバコの吸い殻を車から捨てたりするような人も結構いたので、まだまだ過渡期なんだなという印象はありました。
 ただ、まるっきり村で穴掘って全部のゴミを一緒に捨てちゃうみたいなのはなくて、ゴミ収集も日が決まっていたと思います。
 日本みたいに焼却場もないですし、作るのにも莫大なお金がかかるじゃないですか。政府もそこまでしてお金を焼却場に費やそうと思っていない。設備の面ではまだまだですね。
 ビンカンペットボトルに関しては、回収して船に積んで、確か中国とかに売っていたと思います。一応リサイクルのプログラムとしては構築されていましたね。ただヤップに入ってきたものすべてを海外に売るかというとそうではなく、一部はポイ捨てされちゃったりとか、埋め立ての方にペットボトルを持って行っちゃったりとか、そういう分別意識はまだまだかなと思います。

「ヤップで最も印象に残っていることは?」

泊まらせてもらった場所がヤップの村の中の家だった。グアムに出稼ぎに行った人の家に泊まらせてもらった。日本だと隣近所の人とは挨拶くらいで、そこまで交流はないじゃないですか。けれどその時は、村の周り10軒くらいはいつも出入り自由で、週末はみんなでお酒飲んでみたいな感じだった。人の繋がりはすごく強かったですね。僕が一人で不安のなか村に入っていったときに、ちゃんと面倒を見てくれたり、すごく良くしてくださったりして皆さんの優しさや繋がりがすごくありがたいなと思いながら過ごしてました。

アメリカから色んな文化や流行り物がヤップに入ってくる中で、自分たちの文化を守りたいという人も結構いて、例えばヤップの伝統的な踊りとかですかね。その踊りも文字で残っているわけではなくて口伝えで残っている。だから歌詞の発音が昔と違って正解がよくわかんないよね~みたいなことを言っていましたね、そういう伝統的なものを残していく姿勢は若い人にも結構あって、地域のイベントにも、若い人でも俺はいいよって感じはなく全員参加していたので、日本とは違ってちゃんとしているんだなっていうのはすごく思いましたね。

「今のお仕事と就いたきっかけについて教えていただけますか?」

 今はANA CargoというANAの貨物事業ところで働いていまして、旅客機だと座席の下に貨物のスペースがあってそこを販売したりだとか、全く座席がない貨物専用の飛行機というものもあるんですが、そういう貨物スペースを販売する営業の部署に入社してからずっといますね。きっかけは、小さい頃から飛行機に乗る機会が結構あって、航空会社には憧れがあったのと、貨物や物流のところでいうと、ヤップにいた時に2ヶ月に一回くらい家族から日本のお土産とかいろいろ仕送りを貰っていたのですけど、そういう仕送りも海経由ではなくて飛行機で届けられる。よく無くさないで確実に荷物が来るなと思っていて。他にもいろいろ決め手はありましたが、自分のやりたいことにも合っていたし、憧れもあったので今のお仕事に決めたっていう感じです。

「ヤップでの経験が今に活かされていると感じることはありますか?」

 就職してから結構環境を意識した業務をする機会をいただけるようになりました。例えば環境に良い飛行機の燃料があるんですけど、それをお客様に導入していただけるように営業する業務を担当させてもらって、実際にいくつかの企業が導入していただきました。環境問題をヤップで取り扱った分、何か自分としても会社入ってからやりたいと思い、実際そのような業務に関わらせてもらったということがあったので、ヤップでの経験は活きているなと思いますね。日本はどちらかというと環境に対しての意識がまだ遅く、海外の企業の方が環境意識が高いので、最初は海外に売り込みをしていたのですが、日系企業の中でも環境に配慮していないと海外と取引してもらえない企業も結構あるらしくて、最近は環境意識が高まりつつある感じですね。

「エコプラスに共感できることがあれば教えてください」

 コロナで環境は大きく変わりましたけど、その中でもエコプラスで変わらず新潟の活動をやっていたり、そういった活動をずっとやり続けることってすごく大事だなと思います。そこはすごく共感できますし、毎回楽しみにしながら会報は読んでいます。この前30周年記念イベントがありましたけど、昔関わっていた方と今関わっている方が繋がるっていうのはすごくいいと思います。

「最後に、今の学生にメッセージをお願いします」

 学生の時にやっていたことって社会人になっても使えることが実はかなり多くて、上司と話しながらそれ僕やったことあるんですよ~みたいなことを言えるのって結構大きい。後々何かプロジェクトをやるときに、やってみないかってことで声かけてくれたりとかすることもある。迷ったときはやってみた方が、後々、実は繋がったりとか、色んなところで活かされることが多いと思います。海外のお客さんとやりとりする時に言語の問題で苦労することが多いので、日本語以外の言語は是非何かやっていくと損はないかなと思います。

【インタビューを終えて思ったこと】

 留学と聞くとアメリカやヨーロッパが頭に思い浮かびます。私の周囲で長期留学した人も、行き先は、アメリカやイギリス、ドイツ、フランス・・・など、少し尖った人は東南アジアに行くといった感じでした。しかし、千場さんが留学先に選んだのは太平洋に浮かぶ孤島であったことに衝撃を受けました。日本とは全く異なった気候や文化の中、言語も自由に通じず、インフラも整っていない地域に順応するために相当な苦労があったと思われますが、千場さんはそんな様子を全く見せず、嬉々としてヤップでの思い出を語ってくださったことが印象的でした。私自身はヤップに行ったことはありませんが、それだけヤップが素晴らしい場所なんだなと感じることができました。

聞き手:中山 裕夢

インターンインタビュー 酒井富美さん

~見たことのない景色を見たい~

プロフィール 福島県南会津郡南会津町(旧伊南村)で民宿を営みながら、地元の小学校で非常勤講師としても働かれています。エコプラスとのかかわりはヤップ島プラグラムにスタッフとして参加、また約6年間エコプラスの事務局スタッフをされていました。

「どのような学生時代を送っていたのでしょうか?」

 四国の徳島で生まれ育ち、当時、四国は橋が一つもなかった。だから島の外が異文化という感覚があって、常に見たことない風景を見たいなっていうのがあったかな。私は大学をきっかけに上京、首都圏に行くのだけど、やっぱり田舎から東京に行って、バブルだったこともあり、仕事もいっぱいやろうと思えばできて、物も手に入れやすい時代に大学生活をしていたんだよね。

 大学3年のときに1ヶ月だけオーストラリアに、ホームステイに行くきっかけがあってそれがすごく私の人生で最初の異文化で、すごく大きなきっかけとなった。「すぐ留学をしたい」と思って、休学を考えたのだけど、親に大学を卒業してから行きなさいといわれて、同世代の子が就職活動をしているなか、ワーキングホリデーに行くお金を貯めて、22歳のときにワーキングホリデーで行ったんだけど、それがやっぱりすごく大きかったと思うね。ワーキングホリデーのいいところは、勉強とか英語の語学学習も少しはできるんだけど、仕事ができるから異文化の場所で働けるっていうのが、私にとってはすごく魅力だった。

「ワーキングホリデーでの思い出は?」

 世界中の人が来るナイトマーケットのお土産屋さんで働きながら、言葉も通じないのに商売する楽しさや現地の人、日本人と関わりながら働いたことが何よりも楽しかった。そして1ヶ月間、西側のパースっていうところからダーウィンっていうところまでを四駆の車で旅をするっていうツアーのときは、ほとんどテント泊で過ごしたんだよね。星空見ながら寝たり、水を大切に使ったりとか、シャワーがないから池で泳いだりとか、それを1ヶ月体験できたときに、何か自分が今まで生きてきた中で、生きてることのありがたさ、自然の素晴らしさや物の大切さっていうのをすごく体験できた。自分が今まで生きてきた中で初めて見た風景とか人との出会いがあって、それを体験して日本に戻ってきたので、やっぱ最初の何日間かは、放心状態になるんだよね。

「エコプラスとの出会いは?」

 そんな自然・異文化体験のあと、日本にいて英語に関われるのは、米軍基地で働くことかもしれないと考え沖縄に行った。しかし米軍基地で働くことは周囲の反対が大きくて、西表島の民宿のヘルパーをすることになった。毎日毎日、民宿の掃除するときに海を眺めながら、これじゃいけない、しっかり働かなければと思って、その時にたまたまヤップ島プログラムのパンフレットの一部を見つけたんだよね。 そこに「豊かさって何だろう」って書いてあって、今自分が何を豊かと思って生きていけばいいのか迷っているのかもと思って、すぐ電話したんです。ボランティアスタッフのミーティングがあと何日後かにあるので、そこに来てみませんかって言われて。それがエコプラスとの出会いなのね。そしてこのミーティングで福島県のイベントに誘われて、現在の住まい福島県南会津町(旧伊南村)と最初に出会うことになるんだよね。伊南村との出会い、そしてそのあとの出来事がわたしの人生に舞い込んできてこれもエコプラスがくれたものです。

1993年の旧伊南村でのイベントの様子。右端が酒井さん。当時は丸山さん。子どもたちから「富美ちゃん」と呼ばれて仲良くしてもらっていた。

「エコプラスの活動で共感できることは?」

 自然と異文化っていうテーマから、ぶれずに活動し続けているっていうのはすごいなって思う。私がスタッフだったときも、80後半ぐらいのおばあさんが、すごく高野さんの旅を気に入ってくれて、毎年来てくれた。やっぱりその高野さんと高野さんを取り巻く人たちの、その意識・活動・人間性に惚れ込んで、みんな来てたんだなと思う。そこから何か今もぶれてないような気がするよね。

「エコプラスでの経験と現在の民宿でのお仕事にどのような共通点がありますか?」

 やっぱり、人との一期一会の出会いを大切にするっていう部分が共通してるなと思っています。初めて来たお客さんも、すごくうちの民宿気に入ってくれたら、何度も来てくれる。だからリピーターに繋がってるなって思うので、それはエコプラスで、培った技だなと思います。

 もう一つは、山村留学を受け入れたことがあって、小学生とか中学生を家に受け入れて3,4日間の農業体験や生活体験をやってたときに、エコプラスで子供たちのキャンプのスタッフをしていたので、その子供の関わりなどを、そういうことにも何か生かせたなって思います。

 エコプラスにいて一番の財産は、人との出会いだったって思っているから、もうよく言うんだけど、20代30代の時は、お金の貯金はできなかったけど、友達の貯金がいっぱいできたなっていうのが宝物。自分ができないことを、できる人たちといっぱい出会えたので、それがすごい宝物。

「現在民宿を経営してる中で大切にしていることは?」

 山に囲まれて、目の前に川が広がってるやっぱりこの地形の良さを感じてもらえたらいいなと思います。夏来る人はアユ釣りが好きで来て、冬来る人はスキーが好きで来るんだけど、民宿にいる93歳のおじいちゃんと88歳のおばあちゃんと元気に暮らしていて、おじいちゃんが山がすごく好きで、山菜とか地元のキノコとかをお料理で出してくれるんだよね。その土地のものを楽しんで土地の色とか、自然を楽しんでもらえるような民宿であってほしいなって思っています。

「エコプラスインターン生にしてほしいことは?」

 今回みたいに様々な人にお話を聞いたり、私達の時代はなかったけどSNSで発信できたりとか、そういう力が今の子たちはすごくある。だから私のインタビューだけに限らず高野さん大前さんの周りって本当に素敵な人がたくさんいる。世界中に本当に面白い人がいっぱい散らばっているので、そういう人たちの今を発信してほしいと思います。

「若者に向けてのメッセージをお願いします」

 自分の20代って面白かったなって思うんだよね。大変なこと、涙流したこともいっぱいあったけど、本当に楽しかったの。10代にやってきたことを今やれって言われても多分私はできないと思う。やっぱり10代20代しかできないことって、いっぱいあると思うので今しかできないことをして、今しか出会えない人にたくさん出会って、自然とか、異文化との出会いを大事にしてください。

 どんなことがあっても、無駄なことは一つもないって、今本当、私も思えているのでやりたいことを思いっきりやって楽しんでいってもらいたいなと思います。

【インタビューから私が考えさせられたこと】

 酒井さんのインタビューをして、その行動力に終始圧倒されてしまいした。挑戦したいことがあっても何かと理由をつけて、挑戦することから逃げようとしてしまいますが、「一歩踏み出した先にはきっと楽しい事がまっているし、見たこともない景色が広がっているはずだよね。」酒井さんの行動力からそんなメッセージが伝わってきました。

 現在では、SNSで今友だちがどんなことをしていて、どのように生きているか離れていても知ることができる時代です。だからこそ、周囲の目や評価を気にしすぎて、自分はこんなことしてていいのかなと、自分の進みたい道を信じることができなくなることが多いです。でも自分の人生は私しか生きることができないし、自分の道の正解も決めるのは自分自身しかいないのだから、不安があっても挑戦してみるべきだと強く感じました。今自分のやりたいことに素直に答えて行動することを積み重ねていくことで、自分自身があるべき方向に導かれ、その先にはきっと私が想像していなかった未来と見たことのない風景が見えてくるはずだと酒井さんの生き方から確信しました。

聞き手:津田 萌香

高野のインタビューがFRAUに掲載されました

表紙
表紙

女性雑誌FRAU(フラウ)10/5号の特集にエコプラス代表理事の高野が登場しています。

15周年特集号で、『特集「私」を生きている女性100人。自分の仕事 を見つけた人の顔』と題して、100人の女性を取材しています。高野は104ページ「先駆けだからがんばれます」という部分に入っています。

事務局のすぐ前で撮ったとは思えない、いい感じの写真付きで半ページのイ ンタビュー記事が掲載されています。

高野の記事です。文章はこちらで読めます。
高野の記事です。文章はこちらで読めます。