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ヤップ島でのボランティア活動が半年に・・早稲田大学の千場朗さん

ヤップに海で、愛犬マックスと。
 2月24日で、ヤップでの滞在が半年になった。
 頻繁に上を向いて歩くようになった。
 ホームシックで涙がこぼれそうだから、ではない。
 今日の雲の量、天気はどうか、月齢はどうか、庭のバナナの成長具合はどうか、地元の人がかじるビンロウの実は収穫できるか、古いココナツが落ちてこないか、自然と上を向く。日本で下を向いて小さな画面と向き合い、SNSで友達と連絡を取り合う、そんな生活から離れて久しい。

 私が、欧米等の大学での留学を選ばずに、1年間休学して、過去3度訪問したヤップを選んだ理由は、第一にお世話になった感謝の気持ちを行動で示すためであった。ECOPLUSがTamil地区の有志が作る環境保全団体(TRCT)と1年半のプロジェクトを行うと話を伺い、現地から参加しようと決心した。

 滞在期間中はこのプロジェクトを柱に、小学校の1~8年生の全学年で体育授業のお手伝い、今夏のヤップ・パラオ国際親善大会の為の野球コーチ、禁漁区内でのシャコガイの養殖・清掃活動、コミュニティワークなど様々な活動に挑戦している。これらの「ありがとう活動」は、地元の人たちと共に汗を流し、共に笑い合い、同じ目線で横に座る事が肝要であると学んだ。

 滞在予定は、残り4か月。今後もこの貴重な期間を大切にし、「日本に帰りたくない!」こんな事を心の底から思えるように、引き続き多くの事に挑戦し、ヤップの皆さんのために少しでも役に立てるように頑張りたい。

 千場朗(せんば・あきら)、21歳、早稲田大学教育学部3年の前期で休学。ヤップ島でのエコプラスが実施する環境保全活動にボランティアとして参加中。

水害にあった田んぼで、ボランティアが稲刈り支援。10月1-2日の2日間 に計46人が参加。

7月末の豪雨により大きな被害を受けた新潟県南魚沼市で、10月1日、2日の週末に、首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝いました。
2011年10月1日から2日にかけて、7月末に起きた新潟・福島豪雨によって土砂崩れなどの被害を受けた新潟県南魚沼市栃窪集落の田んぼで、ボランティアが手刈りで稲の収穫作業を行いました。

水害で土砂と一緒に石や木が流れ込んでしまった田んぼでは、コンバインによる刈り取りができません。そのため、稲の刈り取りは、手作業で進める必要があります。栃窪では50枚以上の田んぼが被害を受けたとの報告があり、高齢化が進む集落では、人手が不足している状況でした。

10月1日-2日の活動に集まった参加者は、エコプラスやボランティア関係のネットワークからの呼びかけで集まった首都圏の学生や社会人ら18人。1日には地元新潟の公務員チームと合わせて45名の活動となりました。

水害田んぼの稲刈りボランティアに260人

高さ20m前後の杉の木が何本もなだれ込んだ田んぼでの稲刈り。地元の中学生がやってきた。
高さ20m前後の杉の木が何本もなだれ込んだ田んぼでの稲刈り。地元の中学生がやってきた。

山からの木々や土砂が流れ込んだ、新潟県南魚沼市の水害田んぼでの稲刈りボランティアに、9月中旬からのべ260人のみなさんが参加しました。

7月末の新潟・福島水害で多くの田んぼが崩れた新潟県南魚沼市での稲刈りボランティア活動に、遠くは大阪、京都、愛知、首都圏、山形などから多くのみなさんに支援に来ていただきました。

9月23日から10月10日までの15日間で、同市栃窪、樺野沢、天野沢の3地区で合計約50枚の被災田んぼの稲刈りが出来ました。

泥が入ってひざ近くまでうまる田んぼ。長靴がすっぽ抜ける事態が相次ぎました。
泥が入ってひざ近くまでうまる田んぼ。長靴がすっぽ抜ける事態が相次ぎました。

中には、40アール前後ある大きな田んぼの半分以上に厚い泥や樹木が流れ込んで一部ではひざまで埋まる中で手刈りをしなければならないところもあり、支援を受けた農家の方からは、本当に助かったとの声が相次ぎました。

同時に、生まれて初めて稲刈りをしたという人がシルバー世代でも珍しくなく、食を支える農の現場に触れる貴重な機会にもなったようです。

水害にあった田んぼで、ボランティアが稲刈り支援。10月1-2日の2日間 に計46人が参加。

水害にあった田んぼでの作業風景。背景には山崩れの跡が見えます。
水害にあった田んぼでの作業風景。背景には山崩れの跡が見えます。

7月末の豪雨により大きな被害を受けた新潟県南魚沼市で、10月1日、2日の週末に、首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝いました。

2011年10月1日から2日にかけて、7月末に起きた新潟・福島豪雨によって土砂崩れなどの被害を受けた新潟県南魚沼市栃窪集落の田んぼで、ボランティアが手刈りで稲の収穫作業を行いました。

水害で土砂と一緒に石や木が流れ込んでしまった田んぼでは、コンバインによる刈り取りができません。そのため、稲の刈り取りは、手作業で進める必要があります。栃窪では50枚以上の田んぼが被害を受けたとの報告があり、高齢化が進む集落では、人手が不足している状況でした。

刈り取った稲は、こうして力を合わせて引っ張って運びました。
刈り取った稲は、こうして力を合わせて引っ張って運びました。

10月1日-2日の活動に集まった参加者は、エコプラスやボランティア関係のネットワークからの呼びかけで集まった首都圏の学生や社会人ら18人。1日には地元新潟の公務員チームと合わせて45名の活動となりました。

大人数となった1日目には、棚田が崩れ落ちて土砂が流れ込んだ田んぼ6枚で作業、2日目には、コンバインが入れる部分とそうでない部分がある田んぼの3枚で、地元の農家の方とともに手刈りをしました。

田んぼの持ち主からは「何十年も農家をやってきたが、こんな水害は初めて。山の上に住んでいて、水害にあうとは思わなかった。みなさんに収穫を手伝っていただいて、助かりました。本当にありがとうございました」という言葉がありました。

参加者からは、以下のようなコメントがありました。
・大雨から2カ月以上が経ち、もう平気になっているかと思っていたが、全然そうではなかった。
・自然の災いと恵みの両方を見ることができた。
・災害にも負けないコメの姿、人の姿に感動した。

稲刈りボランティアは、10月の中旬まで栃窪で展開する予定です。10月9日—10日には、東京から再びチャーターバスが出ます。参加希望の方は、TAPPO南魚沼やまとくらしの学校(tappo@ecoplus.jp、025-782-5103)までご連絡ください。

http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=999

ボランティア、水害田んぼで大活躍

大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん
大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん

7月末の豪雨で大量の土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日から首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝う活動を始めました。

2011年7月末の新潟・福島豪雨で、土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日からボランティアが加わった手刈りの稲刈り作業が始まりました。

参加したのは、エコプラスなどの呼びかけに答えた首都圏や新潟市、それに地元南魚沼市の会社員や学生、公務員など。23日には15人が、24日には10人前後が、同市樺野沢地区での活動に参加しました。

一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。
一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。

被害を受けた田んぼは、一部では50センチ近くも土砂が流れ込んで、瓦のようになっている部分もあります。稲は一度は流れに押し倒されたものの、その後再び上を向いて穂を出し、受粉して、黄色く穂を実らせています。

石や小枝があってコンバインでは刈り取ることが出来ないため、ボランティアが手で刈り進めます。余りに深く埋もれた場所では、穂先だけを刈り取る方法も試されました。

隣を流れる川が氾濫して一部が一時は濁流が渦巻いたという10アールほどのある田んぼには、新潟市からの夫婦と東京都からの男性、それに地元の2人の計5人が手伝いに入り、持ち主夫婦とあわせ計7人で、昼食をはさんで5時間余りかけて全部の稲を手刈りしました。

田んぼの持ち主は、「水害なんて無関係だと思っていた。この田んぼを私ら夫婦だけでやったら何日かかったか。本当にボランティアのみなさんには助けられました」と話していました。

水害田んぼのボランティア活動は、10月中旬まで、同市樺野沢地区と栃窪地区などで展開されます。参加希望の方は、TAPPO 南魚沼やまとくらしの学校(tappo@ecoplus.jp、025-782-5103)まで。

http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=999

現地報告の写真その1

 

雄勝町の公民館の上に乗った観光バス。ぐるぐると水流に流されてあちこち動いたあと、最後に2階建ての屋根にひっかかったそうです。
雄勝町の公民館の上に乗った観光バス。ぐるぐると水流に流されてあちこち動いたあと、最後に2階建ての屋根にひっかかったそうです。

 

政府の立派な大型自動車が並んで博覧会会場のような南三陸町のベイサイドアリーナ。しかしトイレは素掘りの仮設。
政府の立派な大型自動車が並んで博覧会会場のような南三陸町のベイサイドアリーナ。しかしトイレは素掘りの仮設。

避難所だけでは解決しない規模・・・現地報告

4月3日から6日にかけて、福島、宮城の被災地を視察し、7カ所の避難所を回りました。津波被害を受けた現地は線路まで跡形もなく吹き飛ばされており、被害の深刻さ、復興作業の大きさは想像以上です。
エコプラスも参加する「南魚沼市災害ボランティアネットワーク」の一員として、代表理事の高野孝子と大前、それに南魚沼市のボランティア日熊恵一さんの3人で、2011年4月3日から6日まで、福島から宮城の被災地を回ってきました。

エコプラスが関係するRQ市民災害ボランティアセンターと連携しての活動で、南魚沼市などからのランドセルや文具、衣類などの支援物資を運ぶとともに、現地ニーズの把握、さらに岡田元サッカー日本代表監督の支援活動の手伝いなどをしてきました。

環境教育関係の市民組織が中心になったRQ市民災害ボランティアセンターの現地本部。集積された物資をボランティアが被災地に届けています。
環境教育関係の市民組織が中心になったRQ市民災害ボランティアセンターの現地本部。集積された物資をボランティアが被災地に届けています。

宮城県登米市の旧東和町にある小学校の廃校を活用したRQの現地本部では、連日80人以上のボランティアが活躍していました。全国からの支援物資を現地のニーズにあわせて、小規模な避難所や避難所に指定されていないような小さな集落や個人宅に届ける作業が中心でした。

現地本部では、さらに前線基地を増やそうとしており、気仙沼市の唐桑地区と、石巻市河北町に前線基地を設置していました。河北町では、北上川の河口から10キロほどさかのぼった場所で堤防が決壊、流れ込んだ津波の濁流が校庭に避難していた小学生らを一気に流すなど甚大な被害が出ています。
ほかの被害地と比べ、救援・支援活動が遅れている場所で、泥出しなどの作業に連日100人前後のボランティアが加勢していました。

南三陸町各地の避難所には、いずでも数百人の人々が避難していますが、自衛隊の食料配給も1日1食程度で、あとは住民たちが支援物資などで炊き出しをしていましたが、「材料がないので今日の昼飯はすいとん」(南三陸町・平成の森公園)などという状況でした。

深い湾の奥にある雄勝町は、平地が完全に打ち砕かれています。遠くの2階建ての公民館の屋根にバスが乗っています。
深い湾の奥にある雄勝町は、平地が完全に打ち砕かれています。遠くの2階建ての公民館の屋根にバスが乗っています。

政府の手厚い支援が入っている同町のベイサイドアリーナには、各省庁のぴかぴかの自動車が並んでいましたが、便所は屋外の仮設トイレで、避難所をこのまま維持運営するだけでは、避難した人々がさらに弱ってしまうような状態でした。

RQ市民災害ボランティアセンターは、現地ボランティアとともに、東京事務所のボランティアも募集中です。

連絡先は、以下で。
(現地ボランティア)
http://www.ecotourism-center.jp/staticpages/index.php/rq_volunteer01
(東京本部の事務ボランティア)
http://www.ecotourism-center.jp/staticpages/index.php/rq_volunteer_jimukyoku

南魚沼に避難されているみなさんに物資を公開しました

エコプラスも活動に加わっている南魚沼市災害ボランティアネットワークでは、4月3日(日)に南魚沼市に避難されてきているみなさんへ支援物資の公開を、塩沢市民センターで行いました。

 

塩沢市民センターの講堂いっぱいに広げられた衣類の支援物資
塩沢市民センターの講堂いっぱいに広げられた衣類の支援物資

南魚沼市には、現在300人を超える方が、市内の宿泊施設や個人宅に避難されてきています。新学期を前にした子どもたちのためのランドセルや体操着、文房具の他、衣類や下着、オムツなど、各方面から協力していただき集まった物資を公開しました。

開場と同時に次々と避難されてきているみなさんが訪れ、生活雑貨や学用品、衣類などを大きな袋や段ボールに収めていました。
たくさん服の中から選んだ服を子どもに当てて「かわいいね、これももらっていこうか」とうれしそうにしている親子、「91歳のおばあちゃんがいるのでオムツは本当にありがたい」と話す女性など、会場はなごやかであたたかい雰囲気でした。

福島県南相馬市から避難されてきた女性は、「小学生の孫が3人いる。他地域の学校になじめるのかとても不安。5月には福島に戻ろうと家族と話をしてはいるが、子どもたちが被曝してしまうのではないかと考えると、どうしていいかわからない」と話していました。

この会の運営ボランティアには地元の中学生10人程も参加し、物資の仕分け作業を手伝ったり、会場に設けらえれた休憩スペースで避難されてきたお年寄りの話を聞いたりしていました。

福島・宮城へ出発する直前の高野、大前と日熊恵一さん。ワゴン車には隙間なく、ランドセルや文具、食料、衣料などが積み込まれました
福島・宮城へ出発する直前の高野、大前と日熊恵一さん。ワゴン車には隙間なく、ランドセルや文具、食料、衣料などが積み込まれました

また、この物資公開と並行し、ランドセルや衣類、食品などの支援物資をいっぱいに積んだワゴン車で、高野・大前と、栃窪集落の日熊恵一さんが、福島・宮城へ向かいました。
3人は、3日の夕方には福島県郡山市の避難所に到着。4日朝からはRQ市民災害救援センターの現地本部のある宮城県登米市を拠点とした活動を始めています。
(南魚沼市災害ボランティアネットワークホームページ。大前からの郡山市の避難所の様子のレポートがこちらからご覧いただけます)
http://www.minamiuonuma.ne.jp

(RQ市民災害救援センターホームページ)
http://rq-center.net