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田植え座学「稲作概論」その1

一般的な稲作の作業には、苗代と本田の2つの仕事があります。
[苗代作業]
1)モミを塩水選にかける
モミを塩水の中にいれ、下に沈んだ、実がしっかり入っているものを選ぶ。

2)モミを消毒する
消毒の方法は2つ。1つは農薬による消毒。もう1つは湯温消毒で、モミをお湯に30分ほどつけるやり方。

3)胚芽を出しやすくする
モミの中にある胚から芽が出やすいように、40度くらいのお湯に一晩つける。

4)モミをまく
焼いた粘土を箱に詰め、モミをまく。

5)苗を育てる
まだ周りに雪がある頃にビニルハウスを立て、その中で苗を育てる。はじめのうちはストーブで加温する。昼間は日差しであたたかくなるので、窓を開けて空気を通すことも必要。苗専用のプールで育てるやり方もある。また、農協で苗を育てて売っているので、自分で苗を作らずに買ってくる農家もある。

[本田作業]
1)畔かけ
今は機械を使いやすいように田んぼを長方形に整備し、畔も機械で固めて作っているので、畔かけの必要がない。昔は毎年新たに畔を作った。土の中にケラという昆虫がいて、畔にもぐって小さな穴を空ける。ケラを狙ってモグラが入ると、モグラを狙ってネズミが入り、ネズミを狙ってヘビが入る。そうやって一年で畔は穴だらけになり、田んぼの水がもれ出すようになるので、穴を埋めるために畔かけが必要だった。

2)肥料まき
有機肥料はじっくり効き、化学肥料はすぐに効くのが特徴。肥料を遠くに飛ばせる専用の機械があるので簡単にまける。

3)荒起こし
冬の間雪で押し固められた田んぼの土を、トラクターで砕く。

4)代掻き
田んぼに水を張り、土をさらに細かく砕いて平らにする。

5)田植え
手植えと機械植えがあるが、今はほとんど機械植え。苗代で育てた苗を田植機で植える。手植えの場合、かなり腕のいい人でも1日に1反(10アール)ほどが限度なので、昔は親戚中が集まって田植えをしていた。田植機を使うと1反20分で終わるので、日曜だけの農家でもできる。

6)除草
田植えの直後に水をはって除草剤をまき、雑草の種を殺してしまう。稲には効かないがヒエに効くという除草剤がある。パノラマ農産では除草剤は使わず、手作業で行う。田の草取りは6月くらいまで。

7)病気対策
病気がでれば農薬を散布する。イモチ病は広がると怖いので、早めに菌を殺すのが大事。

8)草刈り
畔には大型のカヤやススキのようなものが生えるが、一度刈ると勢いが弱る。カヤにはカメムシがたくさんいるので、放っておくとカメムシが増え、稲の汁を吸われ斑点米ができてしまう。草は6月、7月、9月に刈る。8月に刈ると畔に居場所がなくなったカメムシが田んぼに入ってしまうので、刈らない。

9)溝きり
稲刈りに備えて田の水を落とすために溝を作る。今はコンバインを使うので、機械がスムーズに動くようにするために排水の悪い田んぼには重要な作業。

10)稲刈り
コンバインで刈る。コンバインの優れているところは稲を刈りながら脱穀し、ワラを田んぼに散らかしていくことだ。

11)乾燥
モミは温度乾燥機にかける。手刈りだとハザにかけて天日で乾燥させる。そこまでやると10月になり一段落。

12)出荷
出荷する先はJAがほとんどだ。

田植え座学「稲作概論」その2

栃窪集落について
栃窪は東から南が開けた地形で眺めがいい。裏山の向こうの日本海から風が吹き、雪を降らせる。ちょうど吹きだまりなる地域で豪雪の村として知られている。1年の5ヶ月以上が雪の中になり、農閑期となるので、昔から水田単作地域で自給農家ばかりの村だった。

現在の戸数は57。最近まで60戸あったが、高齢になり息子さんのところに身を寄せた人や、息子さんが下に家を建てたので一緒に移り住んだ人などがおり減った。

会社員がほとんどで、冬もここから通勤をしている。農業は日曜日にやる、小規模の兼業農家ばかりだ。

50年前は「ヤマヒビキ」という1反(10a)で10俵(600キロ)を超える収穫がある品種のコメを作っていた。この背景には出荷したコメの全量を国が買い取ってくれていたことがある。昭和39年東京オリンピックの頃を境に全国的なスキーブームが来た。魚沼にも次々とスキー場ができた。農家は冬の仕事として、民宿をしたりスキー場に勤めたりし、出稼ぎをしなくてよくなった。

スキーブームが始まった頃と同時に、コシヒカリが作られるようになった。コシヒカリはヤマヒビキの半分程度しか収量がなかったが、研究をし、多く穫れるようになった。スキー客に出すコメがコシヒカリで、ご飯がおいしいと評判になったことで、魚沼産コシヒカリは全国的に有名になった。他の新潟県内産のコシヒカリと食べ比べても魚沼産のものは違う。他の新潟県内地域のJAでは1俵(60キロ)1万8千円のところ、南魚沼のJAでは2万2千円以上で引き取ってくれる。

スキーブームは終わっているので、これからが課題だ。ハウス栽培ができると有利な点があるが、このあたりでは積雪が多くコストもかかり過ぎるため、ハウス栽培できない。

田植え座学「稲作概論」その3

農業の歴史
栽培する品種がコシヒカリに変わってきたと同時に、牛や馬が耕運機に変わった。牛や馬を使っていたときは循環農業だった。牛や馬にワラを踏ませて堆肥を作って使っていた。毎年田に堆肥を入れていた。

昭和40年代になると機械化が進んだ。機械を効率的に動かすため1枚の田んぼを大きくする必要が出てきて、土地改良が進んだ。省力栽培が可能になり、効率化と無機栽培が進められていき、農作業が楽にできるようになった。

農薬には功罪がある。除草作業をしなくてよくなったし、病気にならなくなった。化学肥料も即効性があり、稲の様子をみながら量を調整することができた。日曜農家でも稲作ができるようになった。

一方、無機栽培をずっと続けると、有機物がなくなり、土は砂漠のようになってしまう。

昭和40年頃から、全国的に公害が騒がれた。熊本の水俣病、富山のイタイイタイ病、四日市の喘息などがあった。初期の農薬はそういったものだった。

初期の除草剤でPCPというものがある。田んぼに散布すると水がロゼワインのように赤くなる。1週間くらいかけて除草する。稲には効かないがヒエには効く。ドジョウやヒル、オタマジャクシ、ゲンゴロウなどの水生昆虫が、全部水の上に浮き上がった。田んぼから排水された水は水系を伝わって川に出てきたので、トンボもホタルも見なくなった時期があった。

田んぼに有機水銀系の農薬を使った。学校ではお腹にいる寄生虫を殺すために子どもに飲ませていた。みんなが無知で人体への影響を知らなかった。昔の作業着は「さんぱく」という薄手のズボンだったので、水銀剤のセレサン石灰をまいた後に風呂ですね毛がぴりぴりして抜けたことがあった。

昭和38、39年に使っていた農薬に比べれば、今の農薬はとてもやさしくなっているが、農薬は農薬なのでできれば使いたくない。

昔、日本は田舎に行けばみんな農家だったが、農立国から商工業立国になった。生産物を売る農家になりなさいという政策だった。農家を減らすには有効な政策だった。ただ日本的な農家は、大規模なファーマーにはなり切れないのだと思う。

田植え座学「稲作概論」その4

「とちくぼパノラマ農産」について
[とちくぼパノラマ農産の取り組み]
高齢になったり、若手が勤め人になったりして田んぼの担い手がいないところから農地を集めて、耕作放棄田を出さないようにすることが目的だ。現在12ヘクタール、15軒が参加している。

パノラマ農産では常勤の従業員が6人いる。そのうち1人は新潟県の「新規就農」のモデル事業で来ている人だ。

目指しているのは、完全無農薬栽培。他にもBLコシヒカリという、いもち病に強く、背が低い稲を、除草剤を一回だけ使うやり方で作り、県認証を受け出荷していきたい。

有機肥料を使い、土の力を引き出しながらやっていこうとこだわっている。安心、安全なものを作って、消費者の信頼を築いていきたいと考えている。
[質疑応答]
Q、とちくぼパノラマ農産の運営での課題は何か。

A、販路と農地集積が課題。
今は収量の半分くらいはJAに出している。30俵は地元の寿司屋に、残りは直販をしている。

パノラマ農産を集落営農化するに当たって受けた助成金の関係で、市と18町歩(18ha)の農地の集積することを約束しているが、まだ集まっていない。

荒れている土地を畑にしていくことにも取り組んでいる。昨年、コメの他にミニ白菜を作ってみたが、葉ものは安く、日持ちしない。アスパラやズッキーニの栽培を検討している。これらは日持ちするし、塩沢農協が全国的なシェアを持っているので、出荷すれば売れる見込みがある。

野菜をやってみて、コメが一番高く売れることがわかった。特に高いコメを売ることに慣れているので、野菜は安い感じがするが、コメだけではなくレパートリーを広げていく必要があると考えている。

また、栃窪の中にパノラマ農産の他にも農家がある。みんな栃窪のコメとして協力してブランドを作っていかないといけない。
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Q、高齢化という課題があると言っていたが、若い農家が参入し、新陳代謝をよくしようという試みはあるか。

A、退職世代を主たる構成員と考えている。パノラマ農産の社長もいるが、社長の会社ではなく集落の会社だ。次につないでいくことが大事だ。

今の日本人はコメを年間平均60キロ食べる。30年前は平均120キロを食べていた。もうちょっとお米を食べて欲しいということが切実な願いだ。
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Q、夫がアトピー持ちだったり子どものことを思うと、食べ物は有機のものを食べたいと考えているが、実際どのくらい調査をして有機ブランドをつけているのか。

A 、新潟県認定のエコファーマーをとるには地質調査をするが、毎年検査しているわけでない。
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Q、栃窪には家畜がいないのか。

A、少し前まで栃窪にも酪農家が2軒あったが、飼料が高くてやめてしまった。昔みたいに干し草を食べさせておくわけにもいかない。エサによって出る牛乳も変わってくる。水のほうが牛乳より高いのはどうか。
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