「稲刈り」タグアーカイブ

秋晴れのもと、8カ国の仲間たちと稲刈り

オーストラリア、カナダ、ボスニアなど日本を含めると8カ国の家族、会社員、学生らが、2014年10月11-12日に新潟県南魚沼市栃窪集落で開かれた休日農業講座「田んぼのイロハ」の稲刈り編に参加しました。

 

オーストラリアからカナダ、ボスニアなど日本を含めると8カ国の家族、会社員、学生らが、2014年10月11-12日に新潟県南魚沼市栃窪集落で開かれた休日農業講座「田んぼのイロハ」の稲刈り編に参加。

標高2,000m前後の山並みを望む絶景の棚田を歩きました。
標高2,000m前後の山並みを望む絶景の棚田を歩きました。

秋晴れのもと、絶景を眺めながらの稲刈りを楽しみました。

一行は、11日午後1時に集落センターに集合。地域の指導者の一人である笛木晶さんから、戦国時代にまでさかのぼる村の歴史を聞きました。

座学では、笛木さんが稲作の経済面から説明。今年の農協への引き渡し価格が60キロ1万5千円であること、通常1反のたんぼから9俵が取れるので、1反からの収入は13万5千円。1世帯は平均1町(10反)を持っているので、世帯当たりでは稲作から135万円が入ること。しかし、そのためにはトラクターや田植え機、コンバインなど100万円単位の機械が必要になることなどを学びました。

カエルやイナゴを追いかけながら稲刈りを楽しむ家族連れ
カエルやイナゴを追いかけながら稲刈りを楽しむ家族連れ

12日朝は、雲ひとつない青空が広がりました。笛木さんの指導のもとで、稲束を刈り、X字の形に積み上げていきます。一番難しいのは、その後にわらで束ねる作業でした。

 

 

(続きは以下から)
http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=2&aid=1148

水害にあった田んぼで、ボランティアが稲刈り支援。10月1-2日の2日間 に計46人が参加。

7月末の豪雨により大きな被害を受けた新潟県南魚沼市で、10月1日、2日の週末に、首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝いました。
2011年10月1日から2日にかけて、7月末に起きた新潟・福島豪雨によって土砂崩れなどの被害を受けた新潟県南魚沼市栃窪集落の田んぼで、ボランティアが手刈りで稲の収穫作業を行いました。

水害で土砂と一緒に石や木が流れ込んでしまった田んぼでは、コンバインによる刈り取りができません。そのため、稲の刈り取りは、手作業で進める必要があります。栃窪では50枚以上の田んぼが被害を受けたとの報告があり、高齢化が進む集落では、人手が不足している状況でした。

10月1日-2日の活動に集まった参加者は、エコプラスやボランティア関係のネットワークからの呼びかけで集まった首都圏の学生や社会人ら18人。1日には地元新潟の公務員チームと合わせて45名の活動となりました。

水害田んぼの稲刈りボランティアに260人

高さ20m前後の杉の木が何本もなだれ込んだ田んぼでの稲刈り。地元の中学生がやってきた。
高さ20m前後の杉の木が何本もなだれ込んだ田んぼでの稲刈り。地元の中学生がやってきた。

山からの木々や土砂が流れ込んだ、新潟県南魚沼市の水害田んぼでの稲刈りボランティアに、9月中旬からのべ260人のみなさんが参加しました。

7月末の新潟・福島水害で多くの田んぼが崩れた新潟県南魚沼市での稲刈りボランティア活動に、遠くは大阪、京都、愛知、首都圏、山形などから多くのみなさんに支援に来ていただきました。

9月23日から10月10日までの15日間で、同市栃窪、樺野沢、天野沢の3地区で合計約50枚の被災田んぼの稲刈りが出来ました。

泥が入ってひざ近くまでうまる田んぼ。長靴がすっぽ抜ける事態が相次ぎました。
泥が入ってひざ近くまでうまる田んぼ。長靴がすっぽ抜ける事態が相次ぎました。

中には、40アール前後ある大きな田んぼの半分以上に厚い泥や樹木が流れ込んで一部ではひざまで埋まる中で手刈りをしなければならないところもあり、支援を受けた農家の方からは、本当に助かったとの声が相次ぎました。

同時に、生まれて初めて稲刈りをしたという人がシルバー世代でも珍しくなく、食を支える農の現場に触れる貴重な機会にもなったようです。

ボランティア、水害田んぼで大活躍

大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん
大量の泥が入った田んぼの稲を刈るボラティアと地元農家のみなさん

7月末の豪雨で大量の土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日から首都圏や地元からのボランティアが手刈りで稲の収穫を手伝う活動を始めました。

2011年7月末の新潟・福島豪雨で、土砂流入などの被害を受けた新潟県南魚沼市の田んぼで、9月23日からボランティアが加わった手刈りの稲刈り作業が始まりました。

参加したのは、エコプラスなどの呼びかけに答えた首都圏や新潟市、それに地元南魚沼市の会社員や学生、公務員など。23日には15人が、24日には10人前後が、同市樺野沢地区での活動に参加しました。

一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。
一見問題がないような場所でも、稲株の根本には杉の葉や小枝などのごみが20センチ近くまで詰まっています。

被害を受けた田んぼは、一部では50センチ近くも土砂が流れ込んで、瓦のようになっている部分もあります。稲は一度は流れに押し倒されたものの、その後再び上を向いて穂を出し、受粉して、黄色く穂を実らせています。

石や小枝があってコンバインでは刈り取ることが出来ないため、ボランティアが手で刈り進めます。余りに深く埋もれた場所では、穂先だけを刈り取る方法も試されました。

隣を流れる川が氾濫して一部が一時は濁流が渦巻いたという10アールほどのある田んぼには、新潟市からの夫婦と東京都からの男性、それに地元の2人の計5人が手伝いに入り、持ち主夫婦とあわせ計7人で、昼食をはさんで5時間余りかけて全部の稲を手刈りしました。

田んぼの持ち主は、「水害なんて無関係だと思っていた。この田んぼを私ら夫婦だけでやったら何日かかったか。本当にボランティアのみなさんには助けられました」と話していました。

水害田んぼのボランティア活動は、10月中旬まで、同市樺野沢地区と栃窪地区などで展開されます。参加希望の方は、TAPPO 南魚沼やまとくらしの学校(tappo@ecoplus.jp、025-782-5103)まで。

http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=999

昔の稲刈りから精米まで

座学では、昔の稲刈りから精米までの様子や、ワラ仕事について、笛木徳治さんから教わりました。
(稲刈りから精米まで)
1、稲刈り
今はコンバインで刈るために乾田だが、昔は湿田だった。田んぼの土はとてもぬかるんでいたので、刈り取る前の稲の上に刈り取った稲を置いて束ねた。稲の束は雑木を束ねて作った舟の上に置いた。
9月下旬から10月いっぱいまでかかった。昔はどこの家にも子どもも含めて6−7人の働き手がいた。牛や馬も家族同然にいた。

2、乾燥
天日乾燥にするため稲をハザにかけて乾かしたが、大変だった。昔は集落中でよくハザカケの光景が見られたものだった。
まず横一列に並んでいる数本のスギに12段か13段、縄を横渡しに張って「ハザ」作った。人間の背丈は3段目くらいまで。はしごをかけて1人がはしごに登り、もう1人が下から稲の束を投げ上げた。投げる方は上の人が取りやすいように投げなくてはならない。はしごが倒れることもたまにあった。命綱はもちろんなかった。
すき間なくかけると風にあおられて倒れてしまうので、「風穴」をあけてかけた。
ハザは田んぼの周りではなくて、家の周りにあった。刈った稲は馬や牛に運ばせた。人が手のひらで持てるくらいの束を1把(わ)と呼ぶ。12把で1束(そく)。馬は12束、人間は1束半を背負った。1反で120束くらい収穫できた。
雨の日も含め2週間くらいハザカケにしておくと、水分量が16%ほどになる。それより水分量が多いとカビてしまうし、乾き過ぎていると米粒がひび割れる。日の光というよりは、風に当てると乾く。乾燥が終わったら、家の近くの濡れないところに置いておく。現代は乾燥機で40-60度の風をあてて一気に16%に調整する。

2、脱穀
家の中に稲を持って来て脱穀した。60年ほど前までは足で踏んで動かす脱穀機を使った。1日やっても50束くらいしかできなかったのではないか。正月までかかった。

3、もみすり
昔は土臼を手で回して引いて玄米にした。

4、精米
臼に玄米を入れて、杵でついて精米した。新米が食べられたのは正月が過ぎてからだった。精米機が入ったのは終戦頃だったのではないか。玄米で食べることはなく、白米で食べた。7部つきはあった。
みんな米をよく食べた。家に30俵(ぴょう)の米を1年分として置いていた。10人くらいの家族だったので、1人あたり3俵。1俵は60キロなので、180キロほどだ。今は1人あたり年間1俵くらい食べていると言われているので、3倍だ。昔は米俵も編んだ。米俵が30個をくらい家の中に積んであった。昔は誰でも米俵1つくらいは簡単に担いでだが、今の人は担げないだろう。昔の人はよく動いたので、ご飯もよく食べた。

今は今日刈った稲を明日食べられる。今は手を抜いているので、どこか味が落ちるのかもしれない。昔は本当に手間をかけていた。
(今年の作柄)
米には等級があり、1等から3等と等外がある。資格をもった検査員が生育不良で白く濁った米が入っている割合を見て等級を決める。今年は夏が暑かったせいか、新潟県内で1等米は16〜17%しかない。普通は3割以上になる。栃窪は標高が高いために100%1等米だった。

 

講師の笛木徳治さんによるワラ仕事の実演。ワラはよく叩いてから使わないと使いものにならないとのこと。ひとつかみくらいの量を、10分くらい叩くそうです。
講師の笛木徳治さんによるワラ仕事の実演。ワラはよく叩いてから使わないと使いものにならないとのこと。ひとつかみくらいの量を、10分くらい叩くそうです。

(ワラについて)
コシヒカリのワラは丈夫でしなやかで良い。ワラはまず叩いてから使う。1把に対して。叩くとしなやかで強くなる。昔はどの家にも囲炉裏の隅にワラを叩く台にする石があった。今はワラを叩く機械がある。
昔ワラはとても貴重なもので捨てるところはなかった。ワラでいろいろなものを作った。冬の間中、ワラ仕事をしていた。1日でわらじは10足、わらぐつは5足くらい作れた。背負子は丸1日かかる。米俵も作った。
今はほとんどがコンバインで刈り取られるため、ワラが短く切られてしまい、ワラ細工できるワラが少なくなった。

ワラジを作っているところです。参加者は徳治さんの手さばきのあざやかさに感嘆の声をあげていました。
ワラジを作っているところです。参加者は徳治さんの手さばきのあざやかさに感嘆の声をあげていました。

【田んぼのイロハ】イネの刈り取りとはざかけを体験

2009年10月17日-18日に、南魚沼市栃窪地区で地元のベテランに教わりながらイネの刈り取りと天日乾燥の作業を体験しました。

稲刈りの様子
稲刈りの様子

 

地元の人からイネの束ね方を教わる参加者
地元の人からイネの束ね方を教わる参加者

休日農業講座「田んぼのイロハ」の第5回講座が、10月17日-18日に開かれました。
参加したのは首都圏の学生や社会人、親子連れなど29人。約半数が学生でした。

1日目は、地元の人を講師に座学を受けた他、生態系調査「栃窪いきものプロジェクト」にも参加しました。2日目は、青空の下で地元の人に教わりながらイネを刈り取り、束ねて「はざ」にかけました。

詳細はこちらへ
http://tappo.ecoplus.jp/showart.php?lang=ja&genre=9&aid=794

Fun of harvesting organic rice

29 participants enjoyed harvesting and drying rice under the sun in Tochikubo, Minamiuonuma on October 17th – 18th,

A Villager taught how to bind straw in sheaves to a participant.
A Villager taught how to bind straw in sheaves to a participant.

The 5th class of “ABC in a Rice Paddy” in this year was held on October 17th – 18th with 29 people, including students, business persons and families from metropolitan area. This time, university students occupied a half of the group.

On the 1st day, participants listened to the lecture by villagers and joined Tochikubo ecology research. On the 2nd day, they harvested, bound, and hung rice under the blue sky.

People work under the blue sky.
People work under the blue sky.

「去年より穂が重い!」イロハ田んぼで稲刈り

昨年は雑草の勢いに押され気味だったイロハ田んぼでしたが、今年は隣の田んぼの人にもほめられるほど立派な稲穂が実りました。
2008年度の「田んぼのイロハ」第4回が、10月18日ー19日に、南魚沼市栃窪で行われました。

参加したのは首都圏からの家族連れや会社員のみなさん13人。そのうちの5人は田植えにも参加した人たちでした。

2日間雲一つない青空で、時折吹く風が作業の疲れをいやしてくれる、本当に気持ちのいい天気に恵まれました。

1日目は13時に集合してすぐ「とちくぼ生き物プロジェクト」に参加し、生き物調べをした後、栃窪小学校を見学させてもらいました。この日小学校は集落をあげての文化祭で、ちょうど片付けの時間だったところにお邪魔し、一緒に片付けながら、校舎も見せてもらいました。

16時からは、地元の「とちくぼパノラマ農産」の笛木晶さんを講師に座学を行いました。明治以前から使われていたという脱穀用の道具を見せてもらい、どの家でもハザカケをするのが普通だった頃の作業や集落の様子についてお話を聞きました。

杉の木を等間隔に植えて横に十何段もつなを張り、4メートル近くの高さまでハザカケをしていたことや、乾かした稲がぬれないように家中に天井の高さまで積み上げていたことなど、農が暮らすことと一体になっていた30〜40年前の風景が少し見えたような気がしました。

 集落の日熊さん(左から2人目)に稲の束ね方を教わる。稲刈りでは、刈り取りよりもこの束ね方が大事な作業。
集落の日熊さん(左から2人目)に稲の束ね方を教わる。稲刈りでは、刈り取りよりもこの束ね方が大事な作業。

最後に手刈りの仕方、稲の束ねる(=まるける)やり方を教わって、次の日の稲刈りに備えました。

2日目は、午前9時から稲刈り。笛木晶さんと集落の日熊良一さん、笛木俊児さんの協力を得て、参加者は刈り方・まるけ方を何とか覚え、刈り取ってはまるける作業をくり返しました。

田んぼには、ぬかるんで長靴ごとはまってしまう場所があり、子どもたちはついには裸足になって田んぼをかけめぐっていました。

大人たちは疲れると手を止めて腰を伸ばし、真っ青な秋晴れの空を眺め、或いは紅葉の始まった八海山や巻機山を眺めて、また作業にかかっていました。

午後3時に1反(約10アール)あまりのイロハ田んぼの刈り取りを終えることができました。

稲の束を女の子が投げて、大人がはざにかけます。回りの人との共同作業でペースがぐんと上がります。
稲の束を女の子が投げて、大人がはざにかけます。回りの人との共同作業でペースがぐんと上がります。

参加者のみなさんは、「今回の稲刈り作業では、単なる自然体験ではなく、農作業のつらいところも子どもに見せることができて良かった」などと感想を話していました。

おコメは10日間程度、天日で乾燥して、脱穀しおコメになり、11月2日の収穫祭にはおにぎりになって登場する予定です。

無農薬田んぼは、自然のジャングル

一年間、まったく農薬や化学肥料を使わなかったオーナー田んぼの稲株の間には、小さなクモやらイモリやらが次々と登場した。

こちらはオーナーの山田さんに稲刈り指導をする通りがかりの村人。「腰の構えが違う!」などとにぎやかな指導でした。
こちらはオーナーの山田さんに稲刈り指導をする通りがかりの村人。「腰の構えが違う!」などとにぎやかな指導でした。
目線を稲株ぎりぎりまで下げると、田んぼジャングルとでも呼べるような新しい世界が広がります。
目線を稲株ぎりぎりまで下げると、田んぼジャングルとでも呼べるような新しい世界が広がります。