一人ひとりが「代替不可能」な社会を目指そう
「ここで携帯とかテレビとかなくても、別に不便じゃなかった」
「暮らすとなったら違う考え方するでしょ」
「コンビニがないと不便って思いがちだけど、コンビニがないからこそあるものもあるって気づいた」
立教大学の学生19人が2月上旬、授業の一環として新潟県南魚沼市の山間部の集落にやってきた。
「サービスラーニング」という学びの手法で、現場で体験的に実際の課題に関わりながら学んでいく。19人中14人が、「初の農村体験プログラム」と答えていた。
豪雪地帯にある高齢化が進む栃窪地区を舞台に、「雪掘り」をしたり村の人たちと対話をしたりしながら、農山村について知り、高齢化が意味することを考え、自分たちの日々や行動と照らし合わせていく。
生まれて初めての雪掘りは、きつかった人たちが多かったようで、「こんな少しの雪掘りでもこんなに大変。これまでテレビでわからず聞いていた雪の事故について、ようやく理解できた」などという感想が初日に聞かれた。
全校児童12人の小学校では、子どもたちが準備した「新米試食会」に招待してもらい、小学1年生から6年生までの一人一人が、21人の大学生と交わった。何軒かの家に上げてもらって話しを聞いたり、50代と70代の住民からは彼らが経験した社会と暮らしの変化の様子を聞いたりした。連日、とても美味しいお米と食事をいただきながら、今は雪の下になっている田んぼと農についても話題になった。よく晴れた日には、一面の雪原となった場所を山の方にカンジキをつけて歩き、動物の足跡を見たり、それぞれ寝転がって美味しい空気と景色を楽しみながら、静かな時間も過ごした。
わずか3泊4日の滞在だったが、密度の濃い体験的学びと、寝る間も惜しんでのディスカッションを通して、学生たちは自らの視野を広げ、多角的な視点を得て考えを深めていた。そこで起きていることと都市が無縁でないことに気づいていく。
「都市は水も食料もエネルギーも、都市以外の場所に支えられている」、「栃窪の危機は、自分たちの危機」。
集落の一人は、過疎高齢化が進むと大変なことになると10年以上前から危機意識を持って動いていたにも関わらず、現実になってみると「ここまで追い込まれてきた」と話した。
これを受けて学生たちも、「今、わかっていて将来大きな問題になるようなものについて、自分たちはもっと真剣に向き合わなくてはいけないのでは」と緊張感ある発言もあった。
「ここの小学校は生徒が少ないから、一人欠けたら大変だし、誰も代われない。でも私が休んでも、授業には関係ないし、バイトは代わりがいるし、私ってこれまでずっと代替可能な存在だったって気づいた」。
こうした声を元に、一人ひとりが「代替不可能」な存在となることが、持続可能な社会作りに関係するのではないか、など様々な意見が出されていった。
最後のふりかえりアンケートでは、経験することの大切さや、地域のつながりの価値、思い込みや先入観に気づけたこと、食への意識、自分で生産する意欲など、びっしり書かれていた。そして「夏にも栃窪に行きたい!大好きになりました」。
久しぶりにみずみずしく、かつ深い感性に出会った気がした。
通常、観光客として訪問することはあっても、土地の普段着の暮らしに触れたり、考察したりすることはなかなかない。受け入れる方も大変ではあるが、こうした機会を持つ大切さをつくづく思う。