ギフチョウの幼虫

ギフチョウの卵から幼虫が生まれていました。

 

 ギフチョウの幼虫。かじられた葉のくきの辺りに、あの真珠のような卵の抜けがらも見えます。
ギフチョウの幼虫。かじられた葉のくきの辺りに、あの真珠のような卵の抜けがらも見えます。

5月1日の日誌でお伝えしたギフチョウの卵の様子を見に行ってみたところ、幼虫が生まれていました。生まれた日は不明です。

5ミリにも満たないくらいの黒い幼虫で、葉の裏側に集まっていました。同じ葉に卵のからも見えるので、この葉で生まれたのかもしれません。

このギフチョウの卵があるのは、とあるお宅の庭なのですが、このお宅の方の話では、幼虫はカンアオイの葉をお腹いっぱい食べると、満腹のあまり地面に落ちてしまうそうです。幼虫も食休みをしているのでしょう。
この幼虫たちは、時期はよくわからないそうですが、そのうちとても硬いサナギになるそうです。

09いきものプロジェクト第1回報告

2009年度「栃窪いきものプロジェクト」第1回が、5月23日(土)に栃窪集落で行われました。参加者は小学校の校長先生と高校の生物の先生。小雨の中、バードウォッチングと生き物調べを行いました。

 

 双眼鏡で、野鳥だけでなく山の木々の花も観察しました。
双眼鏡で、野鳥だけでなく山の木々の花も観察しました。

2009年度「とちくぼいきものプロジェクト」第1回が、5月23日(土)に栃窪集落で行われました。参加者は小学校の校長先生と高校の生物の先生。小雨が降り気温も14℃と肌寒く感じる天候でしたが、バードウォッチングと生き物調べを行いました。鳥の鳴き声に耳を傾けながら、木の上のモリアオガエルや沼の中のクロサンショウウオなどを観察しました。

バードウォッチングでは、山沿いの農道を散策しながら、山林から響く野鳥の鳴き声を聞いたり、時折姿を見かけたりしました。雨にも関わらず、オオルリ、シジュウカラ、サンショウクイ、イカル、オシドリ、サシバ、アオバト、などなど約20種類もの野鳥を、鳴き声や姿で確認しました。
生き物調べでは、4カ所の沼に立ち寄りながら昆虫や植物を観察し、クロサンショウウオやモリアオガエルの卵などが見られました。

 モリアオガエルのオスたち。あちらこちらでじっとしていました。
モリアオガエルのオスたち。あちらこちらでじっとしていました。

1カ所の沼では、何匹ものモリアオガエルのオスが木の枝にじっとしているのを見つけました。モリアオガエルは、水の上にせり出した木の枝に白い泡状の卵を産む習性があり、ちょうど枝の真下辺りに、木に産み損ねてしまったのか卵が浮かんでいて、近くにお腹がぺしゃんこのメスもいました。
恐らく、ここにメスが卵を産みにやって来るのを、この何匹ものオスが待っているところなのだろう、と講師の深沢さんが話していました。
その他に、定点観測の場所になっている沼では、クロサンショウウオの幼生やイトトンボのヤゴ、オタマジャクシ、アカハライモリなどを観察しました。
参加した生物の先生は、終了後に「里からすぐ近くであるにもかかわらず、山深い環境で暮らす生き物がいた。国立公園などの守られている地域でしか見られないと思っていた生き物も見られ、有意義な時間だった」とふりかえっていました。

次回は6月14日(日)13時から。田んぼのイロハの参加者と合流して行います。

青々とした苗代

OLYMPUS DIGITAL CAMERA苗代は大きく育った苗でうっそうとしています。

イネの年齢は、種籾から直接出た茎に生える葉の数で表します。これを葉齢といいます。

今日数えたところ、葉は4枚ありました。
一般的には植えてしまっている葉齢ですが、病気に強くするため、充分に生長させてから植えるのだそうです。

これは昔の苗作りのやり方で、この「苗のプール」も、「水苗代」という苗専用の田んぼをお手本にして作っているそうです。

稲の性質をよく知り、農薬を使わなくても元気に育てる工夫をしてきた昔の人の知恵は、本当にすごいなあと思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

イトトンボが飛んで来ました

事務所にイトトンボが迷い込んできました。種類は不明です。
今日は朝からよく晴れ、午前9時ですでに気温が25℃もありました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 事務所では窓を開け払い、時々そよぐ風を楽しんでおりました。このところツバメの往来が激しかったので網戸だけはしめていたのですが、今日は何とはなしに全開にしていました。
すると10時頃、思いがけずイトトンボが入って来ました。(種類は不明です)イトトンボを見かけるにはまだだいぶ早いのでは?と思いますが、この暑さでは仕方がないのかもしれません。
この週末23日は朝6時から「とちくぼいきものプロジェクト」のバードウォッチングがあります。鳥たちにも何か変化はあるでしょうか?
興味のある方は、開始時間までに栃窪集落センターにお集まりください。参加無料です。

(09年第1回報告)「昔は1人で植えた」約1反の田植え

5月16日−17日、南魚沼市栃窪集落にて2009年度第1回目の休日農業講座「田んぼのイロハ」が行われました。参加者は首都圏や県内から集まった会社員や大学生、4歳から60代まで17名。小雨の中1.2反の田植えを行いました。
5月16日−17日、南魚沼市栃窪集落にて2009年度第1回目の「田んぼのイロハ」が行われました。参加者は県内や首都圏から会社員や大学生が17名、4歳から60代まで。小雨の中1.2反の田植えを行いました。
テーマは「稲作概論と田植え」。苗代見学や座学で田んぼや苗の構造、育苗などについて学び、実際に田んぼに入って苗を植えることでさらに理解を深めました。

苗代で育苗についての説明を聞きました。
苗代で育苗についての説明を聞きました。

1日目は今にも雨が降り出しそうなくもり空の下、かさを片手に苗代見学に行きました。、地元の人と一緒に、車が発達する以前に使われていた棚田の中の細い道を歩き、田んぼの構造や植物について説明してもらいました。苗代では、苗の生長を見ながら育苗について教わりました。
その後の座学では、田んぼの構造、田植えまでの段取り、田植えの際の様々な作業のことなど、昔の様子を詳しく教わりました。

1列だけをひたすら植え続けた小学生。向いのあぜから植え始めた大学生のところまであっという間に着いてしまいました。
1列だけをひたすら植え続けた小学生。向いのあぜから植え始めた大学生のところまであっという間に着いてしまいました。

2日目は朝から小雨が降っていましたが、参加者は雨具を着て田植えに臨みました。素足で入った田んぼの泥の感触や、ときどき腰をのばして眺める景色を味わいながら、田植え作業は約1時間半で終了しました。
「昔は1人で1日1反植えて初めて1人前と言われた」という地元の人の話をふりかえり、「1人前にはほど遠いなあ」と話していました。

作業の後の昼食は、地元の人が用意してくれた昔ながらのヌカ釜炊きのご飯、ワラビとニシンのみそ汁や漬け物など。参加者は何杯もおかわりしていました。

参加者からは、「村の人の知識が素晴らしかった」「本来あるべき自然と人間の姿を垣間見た気がした」「参加している人たちとのつながりを感じた」などの感想が寄せられました。

「苗半作」苗作りが米作りの肝

病気をよせつけない強い稲を育てるためには、いい苗を作ることが大切になる、と笛木健作さんが座学で話しました。
2009年5月16日の田んぼのイロハでは、地元の笛木健作さんが講師となった座学が行われました。以下、座学の主な内容です。

▼水稲栽培の手順
1)苗代(水苗代)をつくり、苗を育てる
雪消えが早い日当りの良い田んぼに苗代(なわしろ)をつくる。4月の仕事だ。
1.あぜかけをする
畔(あぜ)の中には、ケラやミミズがいて、それを食べるためにモグラがいる。モグラを狙ってネズミがいて、ネズミを狙ってヘビがいる。これらが畔を動き回ると、1年で畔はボコボコになってしまうため、畔を壊して作り直す。
2.耕起
「三本グワ」と呼ばれる鍬(くわ)で起こす
3,しろかき
西遊記の猪八戒が持っているクマデのようなものを使ってかき回し、平にする。
4.もみまき
泥状になった土の上にもみをまき、水をはる。
5.育苗
胚から根がでて、次に胚から子葉がでる。その次に本葉がでる。
6.苗とり
田植えの直前に苗をとり、本田へ田植えをする

*昭和20年頃は、畑と水苗代を折衷したような畝(うね)を作って苗を育てた。畝の幅は畳一枚程度。畝に種もみをまいて、油紙(傘に使う紙)をかけておいた。

2)あぜかけ

3)肥料をまく

4)耕起
今は機械でやるが、昔は三本グワや牛・馬を使っていた。馬や牛にひかせる鋤(すき)があり、それで刈り株をひっくり返していく。昭和30年頃までは、どこの家でも馬や牛を飼っていて、家の脇には馬や牛堆肥の山があった。昭和30年頃には耕耘機に変わったが、鎌倉時代から昭和20年頃までは同じような農作業を続けてきた。

5)しろかき
田んぼに水をはり、作土を平にならす

6)田植え
まず、田の水を排水し、苗をまっすぐに植えられるように印をつける。土地改良前の田んぼは四角ではなかったので、細い竹で作ったクマデのようなもので縦の線をつけていった。今は四角い田んぼが多いので、六角を使い、縦と横の線をつけ、交わった点に苗を植えていく。
植える時に縦の線を踏まないのがポイント。慣れてくれば後ろ向きで植えられるようになる。
植え終わったら水を入れる。田植えを下からやれば水が大事に使える。
昔の小学校には、6月に田植え休みがあった。家族だけでなく親戚中が集まって田植え作業をやった。横に5株が一人分の仕事の単位で「ひとはか」と呼ぶ。1日で1反を植えられると一人前だと言われる。
今は田植えが早くなって5月。5葉で成苗だが、一般的には2葉半くらいの幼苗になったところで植えている。機械植えだと1枚の1時間ほどで田植えできる。
昔は畔に豆を植え、耕作地を最大限に利用していた。

7)除草、防除病
稲作は、田植えで大きな一区切りとなる。田植え後の管理の中で一番大きな作業は、除草。
お盆を過ぎると、ヒエがでてくるので、稲の実が入らないうちに抜く。イネよりも背が高いのですぐに分かる。
畔の土手には、ススキ、アシやヨシなどが置いてカメムシなど病害虫の寝床になるので、草を刈っておく。稲にとって一番大事な穂の出たてで、モミの中身が柔らかい時にカメムシが吸うと、黒い斑点が米にできて商品価値が下がる。
いもち病がでると、火をつけて燃やさないといけない。風通しを良くしておけば、なりにくい。

▼パノラマ農産の取り組みについて
*苗半作
「苗半作」という言葉があって、苗でいいものを作れば後は手がかからないということ。病気を寄せ付けない強い稲を育てるために、パノラマ農産では良い苗をつくることに力を注いでいる。
パノラマ農産はポット苗にこだわって植えている。ポット苗の一番いいところは根っこを痛めないで植えられる。根を切ってしまうと苗が活着するまでに時間がかかる。
昨年は6月23日に田植えをしたところもあったが、9月になればちゃんと追いついて稲刈りできた。遅くなっても1週間程度。ポット苗で大きくなった苗だったので大丈夫だったのだろう。
種もみの消毒にも、一般的には農薬が使われているが、パノラマ農産では農薬を使わずに「湯温消毒」している。55度程度の湯に10分くらいつける。これでいもち病の菌などを殺す。
田植え予定に間に合わなかった苗は、笛木農園という会社に引き取ってもらい田植えの遅い所に回してもらう。

*農協との関わり
パノラマ農産は直販以外にも農協に出荷しているものもある。元々土の中にいもち病がある田んぼがあるので、ここに植える稲は、農協からいもち病に強いBLコシヒカリの苗を買って育て、そのまま出荷している。

*肥料
金額は高いが、魚肉を使った有機肥料を使っている。肥料は基本的にチッ素とリン酸とカリの配合物でできており、有機肥料は有機物のチッ素とリン酸とカリの値を計算して配合したもの。
給水口には、牡蠣殻をいれている。牡蠣殻は養鯉にも使われおり、養鯉がさかんな山古志のJAでは牡蠣殻が売られている。

*パノラマ農産の設立について
アメリカなどの国土が広いところでは、農産物は売るという前提があり、商売が確立しているが、日本は元来自給をするための農業。小さいお百姓さんがたくさんいて成り立っていた。
戦後の改革で自作と小作に分けられた。池田総理の「所得倍増政策」から、日本は農業を捨て、安い部品を仕入れて製品に加工し輸出する工業に力を入れてきた。1ドル=360円のレート、朝鮮戦争を利用して、右肩あがりの経済成長をした。
同時に、千枚田を機械の使える大きく四角い田んぼにしたり、干潟を干拓して農地を増やす農政が進められた。しかし、米は余るようになり、中山間地域が疲弊した。農業をする人たちは高齢化するが、採算がとれない専業農家には後継者はいない。兼業で農業を続けるか、耕作放棄をせざるを得ない状況におちいった。
平成19年に「集落営農をせよ、もしくは4町以上の認定農家になるべし」という政策が打ち出され、パノラマ農産を設立した。多くのところで集落営農の取り組みが始まっている。
パノラマ農産には、自分では農地を維持できない高齢者など16軒が参加し、12町歩の土地を集積している。農地を荒らさないで次代に渡すのが目的だ。
自分たちの時代で、集落営農の意味と生産性を固め、次代に渡していきたい。今年は県のモデル地区へも挑戦する。面倒臭がってやらないのはもったいない。失敗したら失敗した時として、やってみるのが大事。
会社を設立して今年で3年目。食の安心・安全を求めるニーズに答える農業技術を早く確立したい。

「山菜は暮らしそのもの」やまざとの食と暮らし講座「春の山菜講座」報告

やまざとの食と暮らし講座第1回「春の山菜講座」が、2009年5月9日に南魚沼市栃窪集落にて行われました。地元のみなさんに山菜の採り方や料理、保存の仕方について教わりました。
東京からの家族連れ、県内外からの主婦や会社員など、5歳から60歳代の参加者14人が、地元のみなさんを講師に、山菜の採り方や料理、保存の仕方を教わりました。天気にも恵まれ、青空の下で野鳥のさえずりを聞き、残雪の八海山や巻機山が連なる山並みを眺めることができました。

山菜採りの説明を聞く参加者たち。
山菜採りの説明を聞く参加者たち。

午前は山菜採り講師の笛木健作さんから、山菜採りを教わりました。
山菜が生えている野山は私有地で本来は出入りできない場所であること、姿形がよく似ていて毒性を持つものがあるので注意が必要なことなどを教わってから、実際に山菜を採りに出発しました。
山菜は種類によって生えている場所も異なるため、スギの林から休耕田へ移動しながら、その場その場で名前や特徴の説明を受けました。初めて山菜採りをする参加者も、聞いた説明をつぶやきながら、該当する植物を探していました。
健作さんは「山菜は、山里の暮らしそのもの。食べる楽しみもあれば、採る楽しみもある。山菜を採ることは、山の暮らしのゆとりであると思う。」と話していました。

昼食は、南魚沼を一望できる魚沼スカイラインの観音会館へ行き、景色を眺めてから、集落のおかあさんたちが用意してくれた手作りの山菜料理を食べました。食べながら参加者から作り方に関する質問が次々に出て、笛木清子さんが答えていました。
昼食後は、上杉謙信も通ったと言われている栃窪峠の古道を散策しました。

ゼンマイの揉み方を教える集落のおかあさんと、山菜採り初体験の参加者。
ゼンマイの揉み方を教える集落のおかあさんと、山菜採り初体験の参加者。

午後は、料理を作ってくれたおかあさんたちに山菜の食べ方や保存の仕方などを教わりました。ゼンマイは天日で乾かして保存する過程で何度も手で揉まなければならず、参加者は乾燥中のものを使って、揉み方をおかあさんたちから指導してもらいました。

参加者からは、「山菜のことを全く知らなかったのが、4種見分けられるようになった」「山菜を採って食べる大変さ、楽しさを感じた」「山里の食や暮らしを知るだけで同じ山道を歩くにしても、全然違う世界が見えた」などの感想が寄せられました。

苗のプール

枠で囲って作った苗代に水が張られ、苗がプールに入っています。
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今日は1日曇り空でした。寒くもなく暑くもない過ごしやすい気候で、寒さから苗を守るシートもはがされたままになっていました。

苗の1本1本の長さはあまり変わらないながらも、全体を見渡してみると緑色の印象が強くなって来ていました。

枠で囲った中には水が張られ、苗のプールになっていました。

真珠のようです

ギフチョウの卵を発見しました。

 どこにあるかわかりますか?
どこにあるかわかりますか?

 

24日にギフチョウを撮影したお宅の庭で、カンアオイの葉の裏にあるギフチョウの卵を見つけました。

真珠の様な色つやをした、わずか2ミリほどの小さな卵。幼虫は黒っぽい地味な色で、梅雨の時期近くにならないと見たことがないそうです。

当分、この美しい真珠の様な卵を見ることができます。

 カンアオイの葉は、気温が上がるにつれてどんどん開いていき、日ざしが強くなる頃には卵が完璧に葉の裏側に隠れる、という仕組みだそうです。
カンアオイの葉は、気温が上がるにつれてどんどん開いていき、日ざしが強くなる頃には卵が完璧に葉の裏側に隠れる、という仕組みだそうです。

水やり

苗代では、シートをはがして苗の水やり作業をしていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
今日は10時頃の気温が20度。気持ちのいい天気が続いています。
苗代では、霜などの対策としてかけてあるシートを全部はがして、水やりの作業をしていました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 水やり、と一言で言っても、長さが20メートル、幅が3メートルの苗の列に水をやるので、ジョウロを使っていたら半日かかってしまうかもしれません。
軽トラックの荷台にすっぽり入る大きな水のタンクを設置し、そこから20メートル以上の長さのホースで水を引き、1列ずつていねいにかけていました。

稲の芽はすっかり出そろい、長さもおおむね4−5センチになっていました。

あぜにはワラビが顔を出し、フキノトウはすっかり伸びて綿毛を飛ばしているものもありました。その横でフキが葉を広げていました。