病気をよせつけない強い稲を育てるためには、いい苗を作ることが大切になる、と笛木健作さんが座学で話しました。
2009年5月16日の田んぼのイロハでは、地元の笛木健作さんが講師となった座学が行われました。以下、座学の主な内容です。
▼水稲栽培の手順
1)苗代(水苗代)をつくり、苗を育てる
雪消えが早い日当りの良い田んぼに苗代(なわしろ)をつくる。4月の仕事だ。
1.あぜかけをする
畔(あぜ)の中には、ケラやミミズがいて、それを食べるためにモグラがいる。モグラを狙ってネズミがいて、ネズミを狙ってヘビがいる。これらが畔を動き回ると、1年で畔はボコボコになってしまうため、畔を壊して作り直す。
2.耕起
「三本グワ」と呼ばれる鍬(くわ)で起こす
3,しろかき
西遊記の猪八戒が持っているクマデのようなものを使ってかき回し、平にする。
4.もみまき
泥状になった土の上にもみをまき、水をはる。
5.育苗
胚から根がでて、次に胚から子葉がでる。その次に本葉がでる。
6.苗とり
田植えの直前に苗をとり、本田へ田植えをする
*昭和20年頃は、畑と水苗代を折衷したような畝(うね)を作って苗を育てた。畝の幅は畳一枚程度。畝に種もみをまいて、油紙(傘に使う紙)をかけておいた。
2)あぜかけ
3)肥料をまく
4)耕起
今は機械でやるが、昔は三本グワや牛・馬を使っていた。馬や牛にひかせる鋤(すき)があり、それで刈り株をひっくり返していく。昭和30年頃までは、どこの家でも馬や牛を飼っていて、家の脇には馬や牛堆肥の山があった。昭和30年頃には耕耘機に変わったが、鎌倉時代から昭和20年頃までは同じような農作業を続けてきた。
5)しろかき
田んぼに水をはり、作土を平にならす
6)田植え
まず、田の水を排水し、苗をまっすぐに植えられるように印をつける。土地改良前の田んぼは四角ではなかったので、細い竹で作ったクマデのようなもので縦の線をつけていった。今は四角い田んぼが多いので、六角を使い、縦と横の線をつけ、交わった点に苗を植えていく。
植える時に縦の線を踏まないのがポイント。慣れてくれば後ろ向きで植えられるようになる。
植え終わったら水を入れる。田植えを下からやれば水が大事に使える。
昔の小学校には、6月に田植え休みがあった。家族だけでなく親戚中が集まって田植え作業をやった。横に5株が一人分の仕事の単位で「ひとはか」と呼ぶ。1日で1反を植えられると一人前だと言われる。
今は田植えが早くなって5月。5葉で成苗だが、一般的には2葉半くらいの幼苗になったところで植えている。機械植えだと1枚の1時間ほどで田植えできる。
昔は畔に豆を植え、耕作地を最大限に利用していた。
7)除草、防除病
稲作は、田植えで大きな一区切りとなる。田植え後の管理の中で一番大きな作業は、除草。
お盆を過ぎると、ヒエがでてくるので、稲の実が入らないうちに抜く。イネよりも背が高いのですぐに分かる。
畔の土手には、ススキ、アシやヨシなどが置いてカメムシなど病害虫の寝床になるので、草を刈っておく。稲にとって一番大事な穂の出たてで、モミの中身が柔らかい時にカメムシが吸うと、黒い斑点が米にできて商品価値が下がる。
いもち病がでると、火をつけて燃やさないといけない。風通しを良くしておけば、なりにくい。
▼パノラマ農産の取り組みについて
*苗半作
「苗半作」という言葉があって、苗でいいものを作れば後は手がかからないということ。病気を寄せ付けない強い稲を育てるために、パノラマ農産では良い苗をつくることに力を注いでいる。
パノラマ農産はポット苗にこだわって植えている。ポット苗の一番いいところは根っこを痛めないで植えられる。根を切ってしまうと苗が活着するまでに時間がかかる。
昨年は6月23日に田植えをしたところもあったが、9月になればちゃんと追いついて稲刈りできた。遅くなっても1週間程度。ポット苗で大きくなった苗だったので大丈夫だったのだろう。
種もみの消毒にも、一般的には農薬が使われているが、パノラマ農産では農薬を使わずに「湯温消毒」している。55度程度の湯に10分くらいつける。これでいもち病の菌などを殺す。
田植え予定に間に合わなかった苗は、笛木農園という会社に引き取ってもらい田植えの遅い所に回してもらう。
*農協との関わり
パノラマ農産は直販以外にも農協に出荷しているものもある。元々土の中にいもち病がある田んぼがあるので、ここに植える稲は、農協からいもち病に強いBLコシヒカリの苗を買って育て、そのまま出荷している。
*肥料
金額は高いが、魚肉を使った有機肥料を使っている。肥料は基本的にチッ素とリン酸とカリの配合物でできており、有機肥料は有機物のチッ素とリン酸とカリの値を計算して配合したもの。
給水口には、牡蠣殻をいれている。牡蠣殻は養鯉にも使われおり、養鯉がさかんな山古志のJAでは牡蠣殻が売られている。
*パノラマ農産の設立について
アメリカなどの国土が広いところでは、農産物は売るという前提があり、商売が確立しているが、日本は元来自給をするための農業。小さいお百姓さんがたくさんいて成り立っていた。
戦後の改革で自作と小作に分けられた。池田総理の「所得倍増政策」から、日本は農業を捨て、安い部品を仕入れて製品に加工し輸出する工業に力を入れてきた。1ドル=360円のレート、朝鮮戦争を利用して、右肩あがりの経済成長をした。
同時に、千枚田を機械の使える大きく四角い田んぼにしたり、干潟を干拓して農地を増やす農政が進められた。しかし、米は余るようになり、中山間地域が疲弊した。農業をする人たちは高齢化するが、採算がとれない専業農家には後継者はいない。兼業で農業を続けるか、耕作放棄をせざるを得ない状況におちいった。
平成19年に「集落営農をせよ、もしくは4町以上の認定農家になるべし」という政策が打ち出され、パノラマ農産を設立した。多くのところで集落営農の取り組みが始まっている。
パノラマ農産には、自分では農地を維持できない高齢者など16軒が参加し、12町歩の土地を集積している。農地を荒らさないで次代に渡すのが目的だ。
自分たちの時代で、集落営農の意味と生産性を固め、次代に渡していきたい。今年は県のモデル地区へも挑戦する。面倒臭がってやらないのはもったいない。失敗したら失敗した時として、やってみるのが大事。
会社を設立して今年で3年目。食の安心・安全を求めるニーズに答える農業技術を早く確立したい。