田植え座学「稲作概論」その2

栃窪集落について
栃窪は東から南が開けた地形で眺めがいい。裏山の向こうの日本海から風が吹き、雪を降らせる。ちょうど吹きだまりなる地域で豪雪の村として知られている。1年の5ヶ月以上が雪の中になり、農閑期となるので、昔から水田単作地域で自給農家ばかりの村だった。

現在の戸数は57。最近まで60戸あったが、高齢になり息子さんのところに身を寄せた人や、息子さんが下に家を建てたので一緒に移り住んだ人などがおり減った。

会社員がほとんどで、冬もここから通勤をしている。農業は日曜日にやる、小規模の兼業農家ばかりだ。

50年前は「ヤマヒビキ」という1反(10a)で10俵(600キロ)を超える収穫がある品種のコメを作っていた。この背景には出荷したコメの全量を国が買い取ってくれていたことがある。昭和39年東京オリンピックの頃を境に全国的なスキーブームが来た。魚沼にも次々とスキー場ができた。農家は冬の仕事として、民宿をしたりスキー場に勤めたりし、出稼ぎをしなくてよくなった。

スキーブームが始まった頃と同時に、コシヒカリが作られるようになった。コシヒカリはヤマヒビキの半分程度しか収量がなかったが、研究をし、多く穫れるようになった。スキー客に出すコメがコシヒカリで、ご飯がおいしいと評判になったことで、魚沼産コシヒカリは全国的に有名になった。他の新潟県内産のコシヒカリと食べ比べても魚沼産のものは違う。他の新潟県内地域のJAでは1俵(60キロ)1万8千円のところ、南魚沼のJAでは2万2千円以上で引き取ってくれる。

スキーブームは終わっているので、これからが課題だ。ハウス栽培ができると有利な点があるが、このあたりでは積雪が多くコストもかかり過ぎるため、ハウス栽培できない。