インターンインタビュー 千場朗さん

~ヤップに留学!?~

プロフィール 早稲田大学時代に高野代表理事の「世界は仕事場」という授業の履修をきっかけに、2014年夏にヤップ島を訪問。その後ボランティアとして2016年夏からヤップに長期滞在し、タミル地区自然保護基金(TRCT)と協力して、さまざま自然保全活動に従事した。卒業後はANA Cargo社に就職し営業部門で活躍中。

「ヤップに行ったきっかけはなんですか?」

 当時、高野先生が、早稲田大学で短期留学プログラムの1つとしてミクロネシアにあるヤップ島を設定していて、大体1週間くらいだったと思うんですけど、興味ある人は是非って感じでプレゼンをして募集をかけていたので参加をしました。元々色んな国の文化について興味があったのと、ミクロネシアなんて社会人になってから行く機会もないだろうと思っていたので、とても楽しみだったことを覚えています。エコプラスという団体は後付けで知った感じですね。

「最初にヤップに行ったときの印象は?」

 日本とは文化や環境が全く違って、最初は異世界に来たみたいな感じだったのですが、実はミクロネシアは太平洋戦争のときに日本が占領していた国だったこともあって、高齢者の中には日本語を話せる人がいたりだとか、日本語がそのままヤップ語の中に取り込まれていたりしているなど日本と関わりが深いということを知って、すごく魅力にとりつかれましたね。ホームステイの体験もさせてもらったんですけど、若い人は英語を話せるけど高齢者の方は話せなかったりして、コミュニケーションが100%は通じないことが当たり前の中で、日本から来た、見ず知らずの若造に丁寧に色々なことを教えてくれたりとかすごく優しさを感じたので、滞在しているうちに過ごしやすいなっていうか、もっといたいなと思いました。

「なぜその後も休学してヤップに行かれたのでしょうか」

 初めてヤップに行ったとき、もう1回いきたいなと思いながら帰ってきて、その後大学主催のプログラムも2回目があったので、そこにオブザーバーというか、経験者として同行するようなチャンスも高野先生からいただけたりとか、エコプラスのヤップ島プログラム参加をされていらっしゃる人とかにも、交流する機会をいただいたりとか、だんだんヤップの「沼」にはまっていきました。
 そんな矢先、大前さんと高野先生が主導されていたJICAの草の根事業についての話を頂いて、ヤップに常駐する日本人の窓口を募集しているみたいなそんな話で。
 僕自身も大学生活の中で、休学する形でもいいから長い期間留学をしたいと思っていたんですけど、たまたま同じタイミングでJICAの話をいただいたので、ヤップにも行けるし高野先生と一緒にプロジェクトできるというのもすごく魅力を感じたのと、あとヤップに行くっていうのは普通の留学ではないじゃないですか(笑)。
 アメリカとかに留学に行っても結局現地で日本人とつるんで英語力はあんまり伸びなかった人たちの話とかも結構聞いていたので。なんかそういうものを色々総合して考えると、やはり何か、人生の中でこれをやったんだって将来自信を持って言えることをやりたいという考えになり、結局11ヶ月間ですね、ヤップに行くということに決めました。

「現地では環境保全団体にも参加されていたそうですが」

 そうですね。エコプラスが主導でやっていたJICAの草の根事業を現地で管理する団体が僕の滞在したタミル地区にあるTRCTという団体なんですけど、そこでは草の根事業もやりながら、かつ自分たちも環境保全活動を自主的にやっていく。例えばビーチのゴミ拾い活動だったり、シャコ貝の保全活動だったりなどですね。小さいことから、ある程度お金をかけた規模が大きい活動まで幅広くやっていて、草の根事業のJICAのプロジェクトをやる傍らそっちの方もやらせてもらっていたという感じですね。

「千場さんが行った頃のヤップの環境はどんな感じでしたか?」

エコプラスの長年の活動があってこそだと思うのですが、僕が行った頃には政府が主導で、日本の援助を受けつつゴミの埋め立て場を作っていたりだとか、ゴミの分別を謳ったポスターがオフィスに貼ってあったりとかして、啓発は結構されているなといった印象でした。
 実際に村に足を踏み入れて各家々を回ったりすると、穴掘ってビンとか缶とかプラスチックを全部一緒に捨てちゃうみたいなことがありました。若い人だとゴミをポイ捨てしたり、タバコの吸い殻を車から捨てたりするような人も結構いたので、まだまだ過渡期なんだなという印象はありました。
 ただ、まるっきり村で穴掘って全部のゴミを一緒に捨てちゃうみたいなのはなくて、ゴミ収集も日が決まっていたと思います。
 日本みたいに焼却場もないですし、作るのにも莫大なお金がかかるじゃないですか。政府もそこまでしてお金を焼却場に費やそうと思っていない。設備の面ではまだまだですね。
 ビンカンペットボトルに関しては、回収して船に積んで、確か中国とかに売っていたと思います。一応リサイクルのプログラムとしては構築されていましたね。ただヤップに入ってきたものすべてを海外に売るかというとそうではなく、一部はポイ捨てされちゃったりとか、埋め立ての方にペットボトルを持って行っちゃったりとか、そういう分別意識はまだまだかなと思います。

「ヤップで最も印象に残っていることは?」

泊まらせてもらった場所がヤップの村の中の家だった。グアムに出稼ぎに行った人の家に泊まらせてもらった。日本だと隣近所の人とは挨拶くらいで、そこまで交流はないじゃないですか。けれどその時は、村の周り10軒くらいはいつも出入り自由で、週末はみんなでお酒飲んでみたいな感じだった。人の繋がりはすごく強かったですね。僕が一人で不安のなか村に入っていったときに、ちゃんと面倒を見てくれたり、すごく良くしてくださったりして皆さんの優しさや繋がりがすごくありがたいなと思いながら過ごしてました。

アメリカから色んな文化や流行り物がヤップに入ってくる中で、自分たちの文化を守りたいという人も結構いて、例えばヤップの伝統的な踊りとかですかね。その踊りも文字で残っているわけではなくて口伝えで残っている。だから歌詞の発音が昔と違って正解がよくわかんないよね~みたいなことを言っていましたね、そういう伝統的なものを残していく姿勢は若い人にも結構あって、地域のイベントにも、若い人でも俺はいいよって感じはなく全員参加していたので、日本とは違ってちゃんとしているんだなっていうのはすごく思いましたね。

「今のお仕事と就いたきっかけについて教えていただけますか?」

 今はANA CargoというANAの貨物事業ところで働いていまして、旅客機だと座席の下に貨物のスペースがあってそこを販売したりだとか、全く座席がない貨物専用の飛行機というものもあるんですが、そういう貨物スペースを販売する営業の部署に入社してからずっといますね。きっかけは、小さい頃から飛行機に乗る機会が結構あって、航空会社には憧れがあったのと、貨物や物流のところでいうと、ヤップにいた時に2ヶ月に一回くらい家族から日本のお土産とかいろいろ仕送りを貰っていたのですけど、そういう仕送りも海経由ではなくて飛行機で届けられる。よく無くさないで確実に荷物が来るなと思っていて。他にもいろいろ決め手はありましたが、自分のやりたいことにも合っていたし、憧れもあったので今のお仕事に決めたっていう感じです。

「ヤップでの経験が今に活かされていると感じることはありますか?」

 就職してから結構環境を意識した業務をする機会をいただけるようになりました。例えば環境に良い飛行機の燃料があるんですけど、それをお客様に導入していただけるように営業する業務を担当させてもらって、実際にいくつかの企業が導入していただきました。環境問題をヤップで取り扱った分、何か自分としても会社入ってからやりたいと思い、実際そのような業務に関わらせてもらったということがあったので、ヤップでの経験は活きているなと思いますね。日本はどちらかというと環境に対しての意識がまだ遅く、海外の企業の方が環境意識が高いので、最初は海外に売り込みをしていたのですが、日系企業の中でも環境に配慮していないと海外と取引してもらえない企業も結構あるらしくて、最近は環境意識が高まりつつある感じですね。

「エコプラスに共感できることがあれば教えてください」

 コロナで環境は大きく変わりましたけど、その中でもエコプラスで変わらず新潟の活動をやっていたり、そういった活動をずっとやり続けることってすごく大事だなと思います。そこはすごく共感できますし、毎回楽しみにしながら会報は読んでいます。この前30周年記念イベントがありましたけど、昔関わっていた方と今関わっている方が繋がるっていうのはすごくいいと思います。

「最後に、今の学生にメッセージをお願いします」

 学生の時にやっていたことって社会人になっても使えることが実はかなり多くて、上司と話しながらそれ僕やったことあるんですよ~みたいなことを言えるのって結構大きい。後々何かプロジェクトをやるときに、やってみないかってことで声かけてくれたりとかすることもある。迷ったときはやってみた方が、後々、実は繋がったりとか、色んなところで活かされることが多いと思います。海外のお客さんとやりとりする時に言語の問題で苦労することが多いので、日本語以外の言語は是非何かやっていくと損はないかなと思います。

【インタビューを終えて思ったこと】

 留学と聞くとアメリカやヨーロッパが頭に思い浮かびます。私の周囲で長期留学した人も、行き先は、アメリカやイギリス、ドイツ、フランス・・・など、少し尖った人は東南アジアに行くといった感じでした。しかし、千場さんが留学先に選んだのは太平洋に浮かぶ孤島であったことに衝撃を受けました。日本とは全く異なった気候や文化の中、言語も自由に通じず、インフラも整っていない地域に順応するために相当な苦労があったと思われますが、千場さんはそんな様子を全く見せず、嬉々としてヤップでの思い出を語ってくださったことが印象的でした。私自身はヤップに行ったことはありませんが、それだけヤップが素晴らしい場所なんだなと感じることができました。

聞き手:中山 裕夢