シリーズ ヤップでまかれた種たち

ヤップで再認識した地域への想い

 茶業に真剣に向き合う傍ら、エコプラスとも関わり続けてくれた高梨さん。秦野に帰り、家業を継いで3年位が経過したタイミングで、自分の視野を広げてみたいなと思い立ち、26歳のときにヤップ島プログラムへの参加を決めました。

 当時見た光景を思い返しながら、高梨さんは語ります。「海が本当に美しかったことが記憶に残っていますね。特別に現地の人の漁に参加させてもらって、そこから取れる恵みを感じたり、椰子の実を自分たちで水や食料に変える体験をしたり。夜光虫が島の中に入ってくるタイミングがあったんですが、水をかき分けると、キラキラ光って、上を見上げると空一面の星空。地球ってすごいなと思った感覚はありましたね・・・」

 日本からの12名の参加者の中で一番年上だった高梨さん。一緒に参加したメンバーたちの変化も印象的だったと言います。

 「下は16歳くらい、多くは大学生でしたが、最初はある意味わかりやすい現代っ子に見えました(笑)。小さい時から自然の中で育ってきた自分と違って、『魚がさわれない、シャワーがないと無理』といったところから彼らの生活は始まったんですね。ただ、野に放たれて、食べるためには魚を自分でさばかなければいけないというところまでみな追い込まれるんです。そうすると、自分で魚にナイフをがちがち入れたり、鱗を取ったり。食べるという意識がそこで変わったように見えました。仲間同士の会話でも、仲間のこういうところが嫌といった愚痴もあったのですが、次第に相手に取って自分もこういうところがよくなかったなとか、彼女、彼の悪い部分は、実はこういう良いところの裏返しなんじゃないかという声も聞こえてきて。最初は諦めから入って、途中から違いを受け入れ始めたのかなと感じる瞬間が何度もあって、たくましくなっていったのが印象的でしたね。自分もそうでしたが、感謝をもとに多様性を受け入れることをみんなで学んだように思います」

 そうした仲間の変化を感じながら、高梨さん自身に取ってヤップは、自身の原体験やそこでの意味を再認識した場でもありました。

 「ヤップでは、大人から子供までみんなたくましくて、竹を切り出したり、バナナの葉でかごをつくったりできるんですね。そうした人たちに触れることは新鮮ではあるのですが、『そういえば自分も、うちのお祖父ちゃんもこんなことやっていたな・・・』と思い返すことも多かったんです。おじいちゃんも竹を切って、それをあぶって熊手をつくったり、そこからかごをつくる技術をもっていたなと。内容は全然違いますが、自然にあるもので何かをつくりだすとか、必要以上に取り出さないサイクルを大事にしているといったことは共通しているなといった再発見がありました。自分もおじいちゃんや父からもっとそういうことを学べるんじゃないかと」