「ヤップでまかれた種たち」カテゴリーアーカイブ

シリーズ ヤップでまかれた種たち

第4回:今井(伊藤)櫻子さん

他者と生きる
異文化で人と誠実に向き合いながら得た学び

 地球体験チャレンジ「ヤップ島プログラム」30周年を迎えるにあたってスタートした連載企画「ヤップでまかれた種たち」。ヤップを経験した仲間たちのストーリーから、ヤップの意味や価値、そして今後の社会づくりを考えます。

 第4回目のストーリーテラーは、2014年の参加者の今井櫻子さん。民族や宗教、ジェンダーなどアイデンティティの異なる他者の共生を探求テーマに、現在は福祉の世界で障害のある方の就労支援事業を行う会社で活躍されています。

 台湾で育った今井さん。今回のインタビューでは自身のルーツを振り返りながら、ヤップでの異文化体験も踏まえ、これまでの学びや今向き合っていることについて語っていただきました。

インタビューにお答えいただく今井櫻子さん

自然の中で見えてくる「異なる他者と生きていく」ということ

 「ヤップでの生活は本当に大変でした。朝、魚を取りに行って、捌いて、料理のために火を起こして、やっと火が通って、食べようと思ったら、もうお昼ご飯の時間になっていました。お昼はタロイモを取りに行って、また夜ご飯だね・・・。一日ご飯をつくっただけで終わった日もありました(笑)。」

 ヤップでの第一印象を振り返りながら、明るく語る今井さん。大学入学直後に、高野さんが主催する「世界が仕事場」の授業を受講したことをきっかけに、2014年の夏にヤップ島プログラムに参加することになりました。

 「授業でヤップ島についての紹介動画が流されました。そこには自分が全く知らない世界があって。貨幣経済があまり浸透していないコミュニティのあり方や、そこで暮らす人達はそれをどう思っているのかといったことに興味が湧きました。『実際に会って話してみたい』とビビッと来ましたね。『大切なことは自然が全部教えてくれるよ』という高野さんの言葉も心に残っています」

 多様な人々と出会いたい、そうした好奇心を胸にヤップに向かった今井さん。野外で暮らした経験は多くありませんでした。力強く、厳しい自然と真正面から向かい合う生活の中で、「私には生きていく力が全然ない」ということを自覚するところからのスタートでした。

 そして、生活する中では、自然だけではなく、異なる他者と生きる難しさや葛藤にも直面することになります。

 「参加者一人ひとりにとって、ヤップで何を得たいのか、何を大事にしたいのかは違いますよね。そんな中で、時間の使い方をどうするか私と他の参加者との間で、意見がぶつかり合う場面がありました。私は地域の方に招待されていた小学校で開催されるイベントに参加して、ヤップ島で暮らす人たちの生き様を近くで見たかったのですが、まず自分たちの生活の場を整えるために家に残って作業したいという意見もありました。最終的には号泣しながら、みんなで話し合ったのはいい思い出です。意見がまとまらないときに喧嘩したり、論破されたと感じたり、お互いの気持ちを120%出し合って、言葉通り、一人では生きられない環境の中でぶつかり合って、それでも支え合って生きていくという濃い体験をしました」

 他者と過度に干渉しなくても生きていける日本での生活と異なり、ヤップ島プログラムでは、互いの価値観をぶつけ合い、すり合わせながら、協力していかないとうまく生活していくことができません。そうした環境の中でもがきながらも、多様な人たちといかに共生するのかという問いを手放さずに考え続ける今井さん。

 その背景には、今井さん自身の小さい頃からの経験が影響しているのかもしれません。ここで少し今井さんのこれまでを振り返ってみたいと思います。

シリーズ ヤップでまかれた種たち

第3回:高梨晃さん

丹沢の森とヤップ
手もみ茶づくりが育む豊かな体験

 地球体験チャレンジ「ヤップ島プログラム」30周年を迎えるにあたってスタートした連載企画「ヤップでまかれた種たち」。ヤップを経験した仲間たちのストーリーから、ヤップの意味や価値、そして今後の社会づくりを考えます。

 第3回目のストーリーテラーは、神奈川県秦野にある高梨茶園にて、四代目を務める高梨晃さん(33)。ヤップ島プログラムを体験した多くの参加者が、事前キャンプを行う地「丹沢」で、先代から家業を受け継ぎ、茶園を営んでいます。

 今回のインタビューでは、丹沢の地域への想い、手もみ茶へのこだわり、茶業を継ぐことの覚悟、そして自らもヤップ島プログラムに参加したことが与えた影響について、語ってもらいました。

オンライン・インタビューの高梨晃さん

丹沢山麗に茶園を構えて

 「機械がない時代に、昔の農家の方は、お茶の葉を自分で摘んで、蒸籠で蒸して、炭火で乾かして、茶缶に入れて、自分用のお茶を1年間分つくっていたんですね。畦畔茶(けいはんちゃ)と言うんですが、土地と土地の境目にお茶の木を植えて、それを5月に摘んで。そういう昔のお話を語りながら、お客様に実際にお茶摘みや手もみをしていただく。そうした体験を大切にしていきたいんです・・・」

 神奈川県秦野の丹沢山麗に、約3ヘクタールの茶畑を構え、丹沢遠山茶をつくる高梨茶園。昭和28年、高梨さん曽祖父の代にそれまで行っていたタバコ栽培を手放し、雨の多い丹沢特有の気候を生かしたお茶の栽培に切り替えました。高梨さんは、22歳までに静岡と茨城での修行を終え、家業を継ぐべく秦野に帰ってきて、10年以上が経ちました。

 高梨茶園は栽培や生産に特化するのではなく、茶畑に苗木を植え、茶葉を収穫して乾燥させ、工場で茶葉まで加工し、お客様にお届けするという六次化まで自分たちで担うスタイルを大切にしています。「自分たちで販売するところまでやっている茶園は、全国でもそんなに多くはないのかなと思います。直接お客様にお茶を届けて、シンプルに喜んでいただけたときが、とってもうれしいですね」と、この仕事の醍醐味を語る高梨さん。

そんな高梨茶園ですが、エコプラスとは実は深いつながりがあります。ヤップ島プログラムでは、事前プログラムとして丹沢でキャンプを行うのですが、その丹沢の森の管理をしている森林組合の責任者がお祖父様でした。

 「うちのお祖父ちゃんに聴くと、高野さんがまだ20代くらいのときに『この森にキャンプを張りたいんですけど』と相談に来られたそうです。それ以来、エコプラスがこの森を拠点に活動をされていて。私がみなさんと初めてお会いしたのは16歳くらいの時で、最初は『何をしている団体なんだろう?』と不思議に思っていました。ただ、参加者のみなさんが、キャンプに入る前と終わった後に茶園にご挨拶に来てくれる際に、森から帰ってきたみなさんの表情が全く違って、目がとてもきらきらしているんですね。『昨日の夜こんな大変なことがあってね・・・』と語る姿が、疲れてはいるんですけど何となく自信がついているように見えて。1日でこんなに人が変わるって、『一体この団体は何をやっているのだろう?』と興味をもったのが最初の出会いでした」

 そこからエコプラスの活動に関心をもってくださった高梨さん。その後、高梨茶園に協力いただき、エコプラスが参加者を募り毎年のように実施した「手もみ茶づくり講習会」では、修行を終えて戻ってきた晃さんが、お父様の孝さんとともにお茶づくりの指導を行ってくれるようになりました。

 手もみ茶づくりの技術を競う全国大会で2位になった経験もある高梨さん。お茶づくりへの想いはどのように育まれてきたのでしょうか。

シリーズ ヤップでまかれた種たち

第2回:岩崎未央さん

遺伝子研究者の種が歩んだ物語
〜閉塞した空間から広がる世界へ〜

 地球体験チャレンジ「ヤップ島プログラム」30周年を迎えるにあたってスタートした連載企画「ヤップでまかれた種たち」。ヤップを経験した仲間たちのストーリーから、ヤップの意味や価値、そして今後の社会づくりを考えます。

 第2回目のストーリーテラーは、1999年、そして2001年と2回に渡ってプログラムに参加した岩崎未央さん。当時中学生だった岩崎さんは現在、山中伸弥教授が所長を務める京都大学iPS細胞研究所にて特定助教を務め、多能性幹細胞の遺伝子発現解析に取り組む研究者として活動しています。

 思春期の葛藤真っ只中の時期に参加したヤップ島プログラム、当時の想いが研究者としての今にどうつながっているのか、現在取り組まれている研究活動も交えながら、お話を聞かせていただきました。

オンライン・インタビューでの岩崎未央さん

遺伝子の世界に魅せられて

 「研究で色々な種類の細胞を観察しています。ゲノムは同じでも細胞の種類が違うと見た目が全然違うんです。たとえば線維芽細胞という皮膚側にいる細胞、脂肪細胞という脂肪を中にためこむ細胞、神経幹細胞はそのうちに神経として突起が伸びていく細胞。そういう違いを見ていると単純にすごく面白いなと思うんです・・・。」

 山中伸弥教授のノーベル賞受賞を契機に大きく注目を集めているiPS細胞(人工多能性幹細胞)。再生医療に重要な役割を果たすものとして期待されています。

 ヒトの体の中には200種類以上の細胞があります。受精卵という一つの細胞から、そのような特定の種類の細胞になることを「細胞が分化する」と言いますが、岩崎さんは現在iPS細胞研究所にて、多能性幹細胞が分化する時に細胞の中で何が起きているのかについて、タンパク質の解析を通して研究しています。

岩崎グループの仲間と(写真右が岩崎さん)

 穏やかに、内省的に言葉を選びながらインタビューを受ける岩崎さん。細胞について語る時には、Zoom越しにも少しだけ体温が高まるようにも感じられます。

 岩崎さんが人体に関心をもつようになったのは、小学校4〜5年生の時でした。「10歳年下の姪がいるんですが、その子が目に障害をもって生まれてきたんですね。それが子供の時にすごく不思議で・・・」

 身近な親族との関わりを通じて人や科学への思いを募らせる岩崎さん。その後、中学生の頃に見たNHKのドキュメンタリー番組が、岩崎さんの興味・関心を加速させ将来に大きな影響を与えることになります。

 「『脅威の小宇宙・人体・遺伝子』という番組があったんですけど、ここで初めて遺伝子という言葉を知りました。人の細胞は30兆個くらいあるんですが、その1個1個の細胞の中に百科事典1000冊分の情報が詰まっています。その情報が、たとえば脳であったり、肝臓であったり、骨であったり、それぞれの場所で適切に引き出されることで生命機能を維持している。莫大な量の情報が1個1個の細胞に入っているというのがすごく面白くて。そして、このテレビ番組の中で、まだまだわかっていないことが多いと言っていて、自分にもその領域でやれることがたくさんあるんじゃないか、自分がやるべきことはこれじゃないかと思ったんです・・・」こうした体験をもとに、中学生にして遺伝子研究者への道を志すことになります。しかしその一方で、当時の岩崎さんには大きな悩みやフラストレーションと対峙する葛藤の日々がありました。

新シリーズ ヤップでまかれた種たち

第1回:當銘朋恵さん

石垣島からヤップ、そして石垣島へ 島の暮らしから紡ぐ、自然と人と優しい社会

 地球体験チャレンジ「ヤップ島プログラム」がスタートして、約30年。これまでに、オブザーバーなども入れて400人以上の参加者がヤップの大地を踏みました。30年が経過した今、ヤップという共通の体験を持つ仲間たちは、その後の四半世紀をどう生き、そして今何と向き合っているのでしょうか。

 プログラムの30周年を迎えるにあたり、今回シリーズ連載「ヤップでまかれた種たち」をスタートしていきます。ここでは、参加者のその後のストーリーに迫りながら、あらためてヤップが持つ意味や価値を振り返るとともに、今後の私たちがどう生き、持続可能な社会づくりにどう貢献していくのかを考える機会を生み出していきたいと思います。

 第1回目のストーリーテラーは、1993年参加者の當銘朋恵さん(旧姓:宮良朋恵さん)。沖縄県石垣島で生を受け、島で育ち、今も石垣島で5児の母として暮らす朋恵さんに、ヤップでの経験はどんな影響を与えてきたのでしょうか。當銘さんが語る、自然と人がつながる生き方について、お話を聞かせていただきました。

1993年ヤップ島プログラム参加者の集合写真。中段右から3人目が朋恵さん。写真:陶山佳久

自然、伝統、文化が織りなされる日々を
過ごしながら

機を織っているときって、無心になれるんです。瞑想のように。自分の手元からものが生み出される喜びがあるんですよね。自分で糸を紡いで、仕立てて、染めて。この辺ではまだ豊年祭の着物などは家族がみんな仕立てるんですよ。麻を育てるところから始めて・・・

オンラインでインタビューに答えてくれた當銘朋恵さん
オンラインでインタビューに答えてくれた當銘朋恵さん

 1993年、ヤップ島プログラムに参加した當銘朋恵さん。石垣島で生を受けた朋恵さんは、現在地元の石垣島で5人の息子さんの子育てに励み、ご家族のパイナップル農園を手伝う傍ら、機織り、学童の支援、ネイチャーゲーム、星空のガイドなど多彩な生活を楽しんでいます。

 朋恵さんの言葉からは、琉球の頃からの文化や伝統、そして取り巻く自然の息吹が生活の中に染み入っている様が感じられます。「今は御嶽(ウタキ)に入る時に着る打ち掛けを織っています。神様のところに行くので着物をさっと羽織る。そういう村の伝統行事に参加していると、島の神様って優しいなって感じるんですよね。村の人たちや自然を見守ってくれていて。この島の大地から神様が生まれてきたんだなって、わかるんですよ」

 子供の頃からとにかく自然が好きだったと語る朋恵さん。「生き物を見ても、葉っぱを見ても、何を見ても楽しい。そこら中に宝物が落ちていて、世界中がキラキラ輝いているみたいな。何で身体が1つしかないんだろうって思っていました。」

 石垣の豊かな自然に触れ、愛しながら育った朋恵さんですが、その一方で葛藤も抱えていました。「でも、自然が好きすぎると、人間が嫌いになるんですよね(笑)。自然破壊とか環境問題とかが許せなくて。ここだと新空港や赤土の問題があって。雨が降ると山が削られて本当に海が真っ赤に染まって、血が流れているようで痛々しかった」

 世の中的にも環境問題への認識が高まる中で多感な時期を過ごし、高校、大学時代は暗くてつらかったといいます。人のためになる仕事、先生と医者と農業だけはやるまいと心に誓い、琉球大学で生物学を専攻しました。ヤップ島プログラムについて知ったのは、そんな学生時代でした。

石垣島からヤップへ

たまたま新聞を見た時に、プログラムの募集記事が載っていたんです。本当に小さな記事で。しかも締め切りが翌日。もともとアフリカに行くつもりで、アルバイトでお金を貯めていたんです。あれ、でもミクロネシアか・・・と

 明確な目的意識があったわけではなく、直感ですぐに電話をかけた朋恵さん。ヤップ島プログラムに参加する方の多くは、そんな偶発性で結ばれているのではないでしょうか。

 「ヤップは沖縄と似ているんですよね。植物の種類も近くて。でも石垣からグアム、ヤップと行くにつれて、同じ植物が巨大化していく。グンバイヒルガオとか知っています? 海辺にはえているのが、ヤップに行くとこんな大きな葉っぱになるんですよね」ヤップに初めて降り立った印象をそう語ります。

 「最初にしたのが、ココヤシのジュースを飲むことと、葉っぱでマットを編むこと。そのマットを珊瑚を敷き詰めた床に敷いて、蚊帳をつって、みんなでギュウギュウになって寝ました。それから川の上にトイレを自分たちでつくるんです。天然の水洗トイレですね。料理もみんなで取り組みました。薪を集めて、料理当番も決めて。だんだん用意していた食材がなくなってきて、最後の方はご飯にジャムをつけて食べたりして、非常にまずかったのを覚えています(笑)。それを見たヤップの人たちが、可愛そうと料理をつくって届けてくれて。向こうは青いバナナを食べるんです。ココヤシだったり、カニのおつゆだったり、シャコガイにレモンを絞ったり。美味しかったですね」

 みんなで自分たちの暮らしをつくっていく生活がとにかく楽しかったと言う朋恵さん。約30年前の様子が映像に浮かぶようにありありと語ってくれました。

ヤップの畑から学ぶ
「必要なものを取り出せる」生き方

 そして、10日間くらいの滞在の中で、その後の朋恵さんの人生観にも影響を与えるような大きな体験もありました。

 「2泊3日で、ロサさんという方のご自宅にホームステイをさせてもらったのを強く覚えています。ある時畑に連れて行ってもらったんです。ジャングルの中をひたすら歩く。そして、いきなり止まったんです。『ここが畑だよ』と。えー、ジャングルばかりで畑も何もないじゃん、と思ったのですが、よく見ると上から瓜のようなスネークビーンズがなっていたり、足元にかぼちゃやスイカがあったり・・・。衝撃的でしたね。なるほど、こういうつくり方があるんだ、森を伐採して、牧草地や畑にしなくても、自分たちが必要なものを自然の中から取り出せる。すごく豊かだなと。行く途中に自分で編んだ籠に野菜を山盛りにかついで帰ってきました」

 自然を切り拓くのではなく、自然と共に生きる暮らし。「自分たちはココヤシと魚があれば生きていける」という現地の方の言葉にも触れ、「こういう生き方ができるんだ。こういう人たちのためなら何かしたいな、何かできるんじゃないかな」と、これまで人間嫌いだった朋恵さんの心情にも変化が生まれました。「このときの体験が一番自分の中で効きました。ヤップに行っていなかったら、すごく嫌な人間になっていたかもしれない。日本に帰ってきたら、不思議と何もかもがありがたく感じられるようになって。ヤップって、その時よりも、後からじわじわ来るんですよね・・・」

 ヤップで環境に負荷を与えない生き方に感銘を受けた朋恵さんは、帰国後、人と自然の持続可能な農業に可能性を見出し、アメリカ、オーストラリアでパーマ・カルチャーを学び、インストラクターの資格を取得します。農業だけはやるまいと誓っていた朋恵さんの信条が、ヤップでの豊かな経験を経て、人と自然をつなぐ接点として農業を捉え直していく様に、場の学びがもつ力強さ、気づきや価値の大きさが感じられます。

みんな違って、みんないい

 その後、石垣に戻った朋恵さんは、結婚し、5人の男の子を授かりました。「自分なりに自然な子育てをしたかったんですよ。だから上の子は病院で産んだけど、下の4人は家で旦那に取り上げてもらって。ヤップの子供たちって3歳位から山刀ぶらさげて歩いているじゃないですか。あれを見ていたので、子供たちには1歳になる前から包丁を握らせたり、鋸やドライバーも自由に使わせて。裸で走り回って。周りの人たちからは色々と言われましたけど(笑)」

 子育てが少し落ち着いてきたころからは、星のガイドや、子供たちを相手にライフワークにしているネイチャーゲームにも取り組み始めました。ネイチャーゲームは、知識ではなく、五感で自然を感じることに本質があると語ります。「花を見た時に、これは何科の植物、という活字が頭に浮かんでくると花の本当の姿が見えてこないんです。美しい、きれい、面白い、そういった感覚を持ってもらうことが大切かなと。今は、石垣でもカエルを見たことがないっていう子もいるんですよね。マングローブを案内しているときに、この子たち自然の中に来るのが初めてなんだとショックを受けることもあります」

私は『みんな違って、みんないい』という言葉が大好きなんですけど、自然の中に行くとそれを当たり前のように感じられるんですよね

 「でも、社会を見た時に、この言葉の本当の意味を理解している人ってどれくらいいるんだろうって。学校では特に感じます。うちの子たちは、学校も草履で行っていたんですけど、先生に怒られて靴を履くようになった。なんだか苦しいなと。生き方とか仕事にももっと幅があっていいんじゃないかなと。自分だけで完結するんじゃなくて、家族がいて、社会があって、地球があって、色々なものとつながっている感覚をもてると、生きる力につながるんじゃないかな」

 子供たちには、島の文化や風土を身体に染み込ませてあげたいと言う朋恵さん。ヤップで満月の海に、筏を浮かべてみんなで泳いだ情景を思い浮かべながら、いつか子供たちにもそういう体験をさせたいなとの願いを語ります。

石垣から考えるアフター・コロナの世界

 そして時は過ぎ、ヤップ島プログラムへの参加から30年近い時間が経過しました。今、世界の状況に漏れず、石垣においても新型コロナウィルスの影響は色濃くあります。そうした今の環境をどのように捉えているのでしょうか。

 「新型コロナウィルスの影響で学校も休校になっているんですけど(5月26日現在)、私の周りでは、その良さを感じている人も多いんです。宿題に振り回されずにのんびりできますし。特に3月からゴールデンウィークまでは、石垣島は観光の繁忙期で、いつもは親も子供をほったらかしになるんですけど、今年はのどかにキャッチボールをしていたり。またこの時期は、卵を抱えたオオガニとか色々な生き物がどんどん道路に出てきて、それがタクシーやレンタカーにばんばん轢かれているのを見て心が痛むんですけど、そういうのもなくなってのどかな光景が戻ってきました。」

 本来の日常は、過密ではなくもう少し穏やかなものであるはずと話す朋恵さん。今回は、島の観光や生活のあり方を再考する機会にもなっているようです。

去年は人口5万人の島に148万人が訪れているんです

 「経済的にはありがたいんですけど、観光客が来るということは、水もエネルギーも使う。明らかにキャパをオーバーしてたんじゃないかな。コロナ前は格安の航空券で石垣島にも簡単に来られました。そうすると、ゆっくりと時間を楽しむというより自分たちの日常をそのまま島に持ち込んでしまうんですよ。飛行機の窓を閉めてスマホを見たり、悪気なくレンタカーですごいスピードで飛ばしてカエルに気づかず轢き殺したり、さっと島を回ってこの島はこんな島だからと言って帰ってしまう。私たちは、たくさんの人に島の素晴らしいところを見てほしいと思っています。だからこそ、入れる人の数にも限度を設けたりして、島に敬意を払ってもらえる人、島を大事に思ってくれる人に来てもらいたいんです」

 新型コロナウィルスの影響は、これまで限りなく手段と化していた私たちの移動のあり方に大きな負荷をもたらしました。奇しくもそのことが、今住んでいる地域でのゆとりのある生活や、移動することの意味、そして訪れる先の自然や文化へのレスペクトを考え直すことにつながる可能性を感じさせます。もしかしたら、石垣から遠く離れたヤップ島でも、30年前とは大きく変わって近代化された社会や村の暮らしが見つめ直されているかもしれません。朋恵さんは、人と自然、人と生き物、人とものとが心を通わせ、つながり、敬意をもつことで、もっと「優しい社会」がつくれるのではないかと語ります。

これからのECOPLUSへの願い

 たくさんの経験や学びを語ってくださった朋恵さん。最後に、まもなく30周年を迎えるヤップ島プログラムや、ECOPLUSへの願いを伺ってみました。

 「人間嫌いだった自分が人に目を向けられるようになって、何もかもがありがたいと思える感覚を1週間、10日間で身につけられたことは、生きる上で本当に大きかったです。私はあまり素直じゃない参加者だったかもしれないけど、人に与える影響って、企画される人の意図とは違うところでも育まれるのではないでしょうか。実際に体験する場を息長く持ち続けてくれていることはすごいなと思います。体験した人でないと通じない話ってありますしね。そういう思いを語り合える場やつながりをこれからも残し続けてほしいです

やっぱり種ですよね。種をまく仕事をしているんですよね、ECOPLUSって

 石垣からヤップを経て、また石垣へと戻ってきた1粒の種が、地元で自分らしい根を張り、人と自然をつなぎながら、新たな種や土壌を育んでいる、そんな生き方を感じさせてくれたストーリーテリングでした。

(聞き手:川口大輔=エコプラス理事、1999年ヤップ島プログラム参加)