シリーズ ヤップでまかれた種たち

何も決められていない空間と時間の中で
〜ヤップでの日々〜

 「朝起きる時に、近くで滝が流れているかのような、ものすごい水音がして目覚めるんですよ。それが印象的で、未だに覚えています・・」

 ヤップでは、場所によって潮の満ち引きで川のように海水が流れてくるところがあります。ヤップでの朝、自然のリズムと共に目覚めるときの印象、暮らしの様子を岩崎さんは映像のように語ってくれます。

 そして、誰かから何かを指示されるのではなく、自分たちですべてを決めていくヤップでの生活は、岩崎さんの目に新鮮に映りました。

 「ヤップでは、自分達で色々決めなければいけないですよね。スタッフも、私たちは何もしませんというスタンス。3人で構成されるリーダーグループが順に移っていくみたいな感じだったんですけど、自分がリーダーのときは何もできなかった。自分の行動に責任を持たないといけないなという気持ちが自然と芽生えてきたように思います。日本の清潔で整っているところしか知らない感覚だと、住む環境も汚く見えるんですよね。ただ、暮らしているとまったく問題なく生きていけるな、という感覚もありました」

 生きていくことのたくましさと隣接しながらの日々。ヤップの人たちとの関わる中で、思う通りにいかないもどかしさを感じることも多くありました。

 「現地の人の家にホームスティに行ったんですが、小さい女の子が二人いて、すごく仲良くなったんですね。ただ自分の英語力が不足していて、お父さんとも子どもとも、うまくコミュニケーションが取れない。それがすごくショックでもありました。お母さんの方が少し日本語をしゃべれるので、共通点探りをなんとかやっていた気がします・・・」「プログラムの中でヤップのゴミをなくそうというプロジェクトに取り組んだんです。バナナの葉で編んだゴミ箱みたいなのを設置する。でも、それが本質的な解決にはあまりなった感じがしないんです。何が問題なのかを現地の人にうまく伝えられない。すごく難しいなって思いました・・・」

 当時は自分の思いを言葉にするのがとても苦手だったと語る岩崎さん。言葉や考え方、生きてきた背景の異なる人たちとどう考えを共有していくのかを模索する体験が続きます。そして、2001年の2回目のヤップ滞在では、こんな予想外のことにも遭遇しました。

 「実はヤップに滞在中に、9.11同時多発テロが起きて、帰りの飛行機が飛ばなくなってしまいました。どうやらアメリカですごいことが起きたらしいと。でもテレビもないので、噂と妄想だけが広がって。そのうちに食料がなくなってきて、やばいなと。じゃあ食べられるものを探してこようとなって、唐辛子っぽい植物を茹でて食べたり、海水でスパゲティを茹でたりもしました。スパゲティがすごく辛かったのを覚えています(笑)。参加者の中には、会社員の人もいて、休暇日数にも限りがあるから最初はすごく焦っていたように見えたんですけど、だんだん開き直ってきて。あ、社会人これでいいんだと楽になりましたね」

 日本にいる時は、すべてが決められた空間への閉塞感を感じていた岩崎さんですが、何も決められていない、何が起こるかわからない環境で多様な人達と接する中で、少しずつ自身の心もほぐれてきたのかもしれません。岩崎さんは、ヤップでの時間を次のように語ります。「とにかく時間がゆったりと流れていたんです。その日やることが何も決められていない。その当時の私にとって、これはすごく良かったんです。当時はまだ情緒が不安定な時期でした。周りの大人を見下した態度も取っていたかもしれない。そんな中、一緒に参加していた大人たちに話をたくさん聴いてもらえました。自分の思っていることを少しずつ言葉にできるようになってきた時期で。とりとめもないけど、話を聴いてもらえる人がいるというのは、すごく良かったです」

 そして、岩崎さんの将来に大きな影響を与える出逢いもありました。