2009年7月4日の田んぼのイロハでは、地元の笛木健作さんが講師となった座学が行われました。以下が座学の主な内容です
▼あぜの草刈りは、稲を虫の害から守るための作業
稲の害虫には、バッタの仲間のイナゴ、ガの仲間のニカメイガ、カメムシの仲間のウンカやヨコバイ、カメムシなどがいる。
ガから稲を守るために、昔は「誘蛾灯」という明かりをつけ、ガをおびき寄せていた。
カメムシは、若い籾や茎の汁を吸う。柔らかい稲を好む。穂肥えに使うチッ素が稲をやわらかくするので、チッ素過剰になった田んぼに多く出る。
除草剤をまくと、とても柔らかい土になり、あぜが壊れてしまう。結局自分の首をしめることになるので、除草剤は使わずに刈り取っている。
パノラマ農産では、肥料にはコメヌカを使っている。有機肥料を使って栽培すると、イトミミズなどが出てきて田んぼがビオトープ化される。カエルやクモが棲めば、虫を食べてくれる。「天敵」を利用して虫を駆除できる。化学肥料だとアスパラギン酸が発生し、これもカメムシの好物となる。
また、本で見たことだが、完熟していない有機肥料を使うとチッ素過剰になるそうだ。チッ素過剰になれば、カメムシが好む柔らかい稲になってしまうので、完熟した肥料を使うことも大事なようだ。
パノラマ農産は設立して2年。どんな肥料をいつまくのかを探りながらやっているところだ。
▼時期に合わせた畦畔(けいはん)除草が大事
草刈りは年中していればいいというものではない。稲の胚乳(はいにゅう)が濃い乳状をしている「乳熟期」にカメムシにつかれると、お米に黒い点がつく「斑点米」になってしまう。
乳熟期になってから、あぜの草を刈ってはいけない。あぜにいたカメムシが、田んぼの稲のほうに逃げてしまう。乳熟期を迎えるお盆の頃は草刈りをしてはいけない。その前に刈っておくのが大事。収穫後も、越冬成虫を駆除するため、草は刈っておく方がいい。
▼「カマは1日3回、人に向かう」
親戚の鍛冶屋のばあちゃんがよく「カマは1日3回、人に向かう」と言っていた。ばあちゃんは、昔カマを持って歩いていたところ、転んで手首の動脈を切ったことがあったそうだ。
刃物に慣れると油断が生じる。カマといえども刃物。取り扱いには十分に注意する必要がある。
▼栃窪の昔と今
昔はどこの家も牛や馬が家族として同居していた。牛や馬が踏んだワラや糞、残飯などを1年積んでおき堆肥を作っていた。堆肥は崩すととてもあたたかく、カブトムシの幼虫がザルいっぱいに見つかった。
春、まだ雪のある3月25日頃に、田んぼの雪を掘って堆肥を入れる。一人前になった人がやる仕事で、堆肥をソリに載せて運ぶ。「すっぺ」という、ワラで編んだ靴をはき、中にスギの葉っぱと唐辛子を入れた。初めは痛いがそのうちに慣れてポカポカした。
春の陽射しは紫外線が強く、角膜や結膜が炎症を起こす「雪眼(ゆきめ)」になることがあった。
牛や馬のエサは、あぜの草だった。冬用の草は、雪のないうちに刈り取って干しておいた。ススキやヨシ、オギなどのカヤ類を干し草にした。牛や馬はクズが好物だった。
草を2束刈り、馬や牛のクラにつけて運ぶ「朝草刈り」という、茶前仕事があった。茶前仕事は朝ご飯を食べる前の仕事で、このときに食べるのが「あんぼ」だった。あんぼは「茶の子」とも呼ばれる郷土食で、未熟米を挽いて粉にしたものを使って作る。米を減らさないようにするための工夫だ。
1日仕事には「メンパ」という弁当箱にぎっしりご飯を詰めて出かけた。昔はひとりあたり年間2俵くらいの米を食べていたものだが、今は1俵くらいだろう。
栃窪には、共同の作業所に発動機で動く精米機があり、それで精米していた。家の入ったところすぐが作業場になっていて、稲上げは家の中でやっていた。
不自由の多い暮らしであったが、常に助け合っていた。当時の暮らしを続けていれば、温暖化ということはなかっただろう。
様々な仕事をしたもので、田畑の仕事のほかに、家畜の世話、養蚕業をやっていた。
どこの家でも赤い卵を産むニワトリが10羽くらいいた。春にひよこを買って来て、冬になると潰して食べた。今は飼ってもすぐイタチにとられると思う。
養蚕業は現金収入の手段だった。多くて年に4回飼う家があった。養蚕では桑の葉が必要なので、桑畑がたくさんあった。里山といえば、桑畑だった。
今、カモシカやイノシシの獸害が増えている。昔は獣との棲み分けがもっとはっきりしていた。
先日も近くの沢で、ヤギの子くらいの大きさのカモシカが死んでいた。昨年は畑でカモシカが歩いた跡を見た。カモシカは走り回るくらいで、被害もそれほどには至らない。イノシシは問題で、ヤマイモを盗られたりした。昔はイノシシはいなかったが、最近増えてきている。イノシシは雪の中でも過ごせるようだ。
林の下刈りをしなくなったので、日光が入らない暗い林ばかりになった。大雪の時に倒れた大木はそのままで、「自然」に戻っていっている。畑も、林と同じような状態だ。