First ”Energetic Rural Area Network National Convention” Hosted in Tochikubo

Seven organizations from Hokkaido to Okinawa and community residents, close to 50 participate   July 24-25
In addition to six founding member organizations, groups and individuals from Tokyo, Gunma and Niigata participated in the first ”Energetic Rural Area Network National Convention.” All participants are active in the vitalization of small regional villages.

OLYMPUS DIGITAL CAMERAAdditionally, Mr. Sasaki, who manages the Kurikoma Kougen Nature School in a region that was severely damaged by the Iwate-Miyagi Inland Earthquake, participated as a special guest; he reported on how community members came together in the aftermath of the quake.

After taking a stroll in Tochikubo Village, participants introduced their activities to one another. Several examples from regions all over Japan in which locals work together with young people from outside the community for community vitalization were shared. Following dinner, Mr. Nakagawa, a veteran organic farmer from Yamagata Prefecture introduced examples of communities developing by attracting young people from outside the community that want to do organic farming.

OLYMPUS DIGITAL CAMERAMr. Kobayashi from Kumamoto Prefecture spoke of the significance of the network. ”As birthrates decline and a the aging population grows, the Energetic Rural Area Network will become important. In one sense, rural areas are at the forefront of these trends. I believe that sharing information at this convention will become of precious value.”

The second national convention is planned to be held next year in Kumamoto Prefecture.

セミがセミになるまで

集落のおじいさんが、セミになる前のセミ(幼虫)を持ってきてくれました。

 

 朝までカラのままかと思っていたら、夜9時頃にはもうカラから出てきていました。
朝までカラのままかと思っていたら、夜9時頃にはもうカラから出てきていました。

7月25日、ちょっと遅くまで事務所にいて、そのあと集落のみなさんとお盆祭りの出し物の練習をしていました。
そこへ、よく知っているおじいさんが来て、「こんなものがいたぞ」と手を差し出します。見てみると、手の中でセミの幼虫がもぞもぞしていました。足にはまだ土のかたまりがついていて、土から出て間もないようでした。
「はい」と渡されて受け取ったまではよかったけれど、よく考えたらどうしていいかわかりません。とにかく抜けがらを思い出して、幼虫がぶら下がれる植物を探しに外へ行きました。しかし暗くてちょうどいいものが見つけられず、仕方なく割り箸と生けてあったあじさいを虫かごに入れて、いったんその中に入れました。

しばらく動きまくっていた幼虫は、40分後くらいにはだんだん動かなくなってきました。「これじゃあ飛び立てないかもしれない」と無理矢理かごのそとに出し直しました。そして何の根拠もなく「セミになるのは朝早くだ」と思っていたので、練習に戻りました。
1時間後、練習を終えて帰ろうと事務所に行ってみると!もう幼虫の背中が割れて、セミが出てきているではありませんか。白い、まだセミとは似ても似つかない状態です。白い体全体がカラから出ていて、頭が下向きになっています。

 夜11時頃、頭が下向きだったのにいつの間にか上向きになっていました。羽も広がってきて、すっかりセミらしくなりました。
夜11時頃、頭が下向きだったのにいつの間にか上向きになっていました。羽も広がってきて、すっかりセミらしくなりました。

どうしても過程を見たかったので、持ち帰って観察することにしました。そのままおそるおそる、普通なら3分くらいでつく道を8分くらいかけて帰りました。
羽は薄いきれいな緑色に広がっていました。目も黒目がちでツブラです。その目がとてもかわいくて、しばらく見ていました。
翌朝、セミは茶色くなっていましたが、じっとして動かなかったので、かごごと外の木や草がある近くにおいておくことにしました。
ここまでで約12時間かかりました。大人になったあのセミは、精一杯生きてくれていることでしょう。せみが

元気なへき地ネットワーク全国大会が開かれました

過疎高齢化が迫る地方の集落をどのように活性化するのかを話し合う「元気なへき地ネットワーク」の第1回大会が開かれました。
全国各地で地域に根ざした試みを展開する仲間たちが集る「元気なへき地ネットワーク」第1回全国大会が、2008年7月24、25の両日、新潟県南魚沼市栃窪集落で開かれ、北海道から沖縄までの7団体のほか、地元住民ら計のべ約50人が参加して、地方の元気をどう取り戻していくかを語り合いました。

会議に参加したのは、北海道の霧多布湿原センターの阪野真人さんや沖縄県のやんばるエコツーリズム研究所の中根忍さんら同ネットワークの設立メンバーである6団体のほか、東京や群馬、新潟などで活動する団体や個人。いずれも、小さな地方集落を舞台にその活性化に取り組んでいるみなさん。

岩手宮城内陸地震の被害と復興状況を説明するくりこま高原自然学校の佐々木豊志さん(中央右)
岩手宮城内陸地震の被害と復興状況を説明するくりこま高原自然学校の佐々木豊志さん(中央右)

さらに今回は、特別ゲストとして岩手宮城内陸地震で大きな被害を受けた栗原市耕英地区で自然学校を運営している「くりこま高原自然学校」の佐々木豊志さんも参加し、避難指示が出たまま地域に戻れない中での、地域が一体となった取り組みを報告しました。

一行は、60世帯、人口約200人の栃窪集落を散策して視察したあと、それぞれの活動内容を紹介しあいました。地域の区長さんらが理事としてNPO法人を構成し、外部からの若者らがそのスタッフとなって支えている構造が、あちこちで始まっていることが浮き上がってきました。

夕食後は、山形県で長年有機農法に取り組んできた「たかはた共生塾」の中川信行さんが、有機農業を通じて外部の人々も呼び込んだ形で地域が発展している例を紹介。「農業をやりたいという人が80人くらい集まっている。都市で働いている人が、地域でいかに定住してもらうか。人的交流をいかに盛んにするかが大事。人的交流のできる地域であるかが発展できる地域のカギになるのではないか」と外部との交流の大切さを指摘しました。

2日間の議論を通じて、「集落にある当たり前のものが持つ価値の再評価」や「村内外の協働」が大切であるという声が多く聞かれました。

内外の交流のあり方については、集落にあるものやサービスを、外部社会と金でやりとりするのではなく、その価値観を共有した上での関係構築こそが、グローバル経済とは違った、地域と信頼に根ざした地域経済を作れるのではないかと議論は深まっていきました。

集った参加者のみなさん。背景は栃窪集落のシンボルになっている樽山(736m)
集った参加者のみなさん。背景は栃窪集落のシンボルになっている樽山(736m)

熊本県の「きらり水源村」の小林和彦さんは、「へき地の取り組みは、今後日本中で少子高齢化が進んでいく中で重要になってくる。ある意味、へき地は全国の最先端を走っている。この場での情報交換は大変貴重な価値を持つことになるのではないか」とへき地ネットの存在意義を語ってくれました。